子供時代にFamilyで発行していた☆通信 いちおーまだデータが大量に残っていたから、うpしときますね お久し振りのT 春に上野の美術館へ家族で出掛けたらKさんのご主人にバッタリ会い、奥さんがこのところ体調を崩して自宅であると伺い手紙を出したら、近いうちに会いましょうと いうことになった。『図書館を考える会』の皆さんにも声掛けしていただき、6月30日にいつものメンバーが集合して公民館で「同窓会」と相成った。 駅からバスでM町に向かう道すがら、窓からの景色がやはり懐かしくて引っ越してから3年も過ぎてしまったのがウソのようだった。大人ですらそうなのだから、幼少期をかの地で 過ごした子供達には格別の思いがあるだろうなあ、と実感。皆とは図書館職員の品定めだけで十分盛り上がってしまい(この種話題で何時間も持たせることができる我々はやはり特異な グループ)心配していたKさん、Kさんもお元気な様子だった。あと二週間足らずで夏休み。今年は例年のように子供と一緒にブラブラというわけにはいかなそうだけど、 それでも長い休みをどう過ごさせるか、は大きな問題だ。家でしているくらいなら、ボランティアにでも行ってほしい。暮れに風邪ひいて大掃除は適当に済まし、正月はぐだぐだ 寝て過ごす、というのが毎年恒例になっていた。暮れに風邪ひいたまま年越したところまではいつも通りだったけど、パン屋バイトが29日まであった。元旦と2日にSが学校へ行った ので朝できなかった、夜遅くまで家族でコタツ囲んで遊ぶことがなくなった…という具合に、今年はいつもとは違う点がいくつもあった。去年の後半は「もう子供のことなんてかまわず、 自己実現についてに検討しよう」なんて思った。まだまだ人生先が長いなんてごまかして、後回しにしてきたことに直面する時期がきたのかもしれないなあ。「限られた残り時間」 ということを常に念に置いて、今年はやはり成果のある年にしたい。例年消費者立場で利用してきたスーパーを、今年は「関係者」という立場で眺める機会を得た。 クリスマスグッズだけは恐らく世界のどこよりも豊富に出回る国。私たちは「抜け目のない商魂民族」になろうとしてなったわけではなくて、「働き者」というを生まれついているの かもしれないね。親子関係が終わると、クリスマスも正月も従来通りではいかなくなるんだなあということを実感。自分の経験から、子供というのは「家族の原風景」に対する 執着が、何はともあれ「大晦日の過ごし方」みたいなことは変えたがらないものだと思い込んでいた。でも年中ハリネズミみたいに「とげとげバリヤ」はってて、そういう時だけ 親と一緒にアハハもないだろうなんて思っていたら、やっぱりSも「ここまできたらどうにも止まらない」みたいな不機嫌さで、次々に年中行事を粉砕。「ご機嫌とってたまるか」 私も対抗をとったりして、去年は調子を変更するきっかけがないまま時間終了。「いつまでこんなことが続くのか」なんて横で大人びた溜め息ついているのがY。 無理な年齢なんだろうし、深刻な争いのない平穏な家庭でヌクヌクと育ったがために、「水と空気と平和はタダ」なんだと楽観しているのかもしれない。きれいなものだけ見せて 育てても人に対する洞察力は育たないのかもしれない。遅ればせながら「お前のせいだ」「ふん仕事ばっかりで何もしなかったくせに」なんて大喧嘩でもしてみたらどうだろうね。 それが原因で別居なんて事になったらSも少しは楽になるかしら、なんてダンナと話し合う。 Sは「J学園はキリスト教じゃなく『てきぱき教』」なんてこと言うけれど、私はああいうタイプには親近感を覚えない人だったはずなのに、何を迷ったか自分の体質を受け継いだ ようなをJ学園に送り込んでしまったんだあ。『大人のため残酷童話』「白雪姫」は私が想像していた話(ホントはこういう話なんじゃないか)とほとんどおんなじで笑っちゃったわ。 白雪姫の話って、ぜったいあやしいよね。特に7人の小人が。なんてことを本当に書いてしまう人がいるんだなあ、くくく。あわわわという感じでもう師走。1年をしみじみするには 私は立ちすぎていて、というところか。口横にできたニキビみたいに、「子供は悪くなる」とわかっていても、長年習慣で「言わずもがな」なことを言ってしまい、度に「ああまた ルビコン河を渡ってしまった…」なんてうなだれる。たぶん今は自分にとって人生の分かれ道なんだな。子育てが戦略通りに進んでいれば、私はそれだけで十分満足してしまって 「のほほんとした主婦」まま老年期に突入していただろう(今だって、そうなればどんなにいいだろうと思っている。Sがにっこり笑って「あれは全部冗談だった」と言う日が また来たらどんなにかステキだろう。)理想を子供に託すなんて土台まちがっていた、と気付いたこの時点で回れ右して、私は一体何になりたかったんだっけ、ともう一度思い出したい。 くそお、自分を実現させるために、エゴイストになるぞ。 勉強部屋としての体をなさないSの部屋。(一歩足を踏み入れると「まきば小世界」だもんね。)従って勉強はもっぱら居間で、ということになる。ダイニングテーブルの 片隅で勉強するSを見ながら、テーブル買った時のことを思い出す。あの頃は子供が小さかったせいか、テーブルがずいぶん広く感じられた。子供達が大きくなったらここで 宿題するようになるのかな、傍らで父はパソコン、母は読書…なんていう構図を思い描いていた。おおっ、今がちょうどそういう時期だというわけさ。(ただし大人サイズが4人、 それぞれの荷物もって腰掛けるとさすがに窮屈。辺は予想外だった。)やがて子供達がひとり去り、ふたり去りして、「あの頃はにぎやかだった…。」なんて思うようになるのかな。 入学試験まであと少し 「入試まであと2ヶ月しかない!」(母)…という具合に、母子認識差がとうとう縮まることなく月日は流れ、半月先に迫った入学試験。 合格発表のある2月5日には、盆と正月とクリスマスと誕生日が一度に来たような大騒ぎをしているか、「やはり無謀な試みであったか!」と言って残念会しているか (どちらに転んでも大笑いすることに変わりはない。)う〜ん、どっちだろうな。本来ならもっと時間かけてジワジワ準備すべきところを、ぶっつけ本番精神で乗り切ろうと いうんだから、「ダメもと」だなと母は思うけど、「落ちる気がしない」というSの楽観をもってすれば、意外に扉はこじあけられるものなのかも。 提出書類揃える母の脳裏をよぎる古い思い出は…それにしてもJ学園みたいなところに入れてしまえば、もう親出る幕なくて「上がり」心境だろうな。 受験余波が否応なく家族にも押し寄せて、「Sが勉強しているから静かに」なんてYまで母に言われて、常になく静かだった今年の冬休み。徒然をまぎらわすためにワープロ打ち (『ひよこのどりっプちゃん』第2巻完成!あとは絵描きとコピーと製本を残すのみ。今回は堂々80ページ大作じゃ!)とお菓子作りに励んだYであった。 ちょうど春休みに母が単独で上京(書道先生の展覧会が東京であった)。短い間ながら我が家にも滞在した。私の記憶中ではわが母というのは、「子供だけが楽しみ」みたいな タイプのジミな専業主婦だったということになっている。「そうだったよね」と本人に確認したら「そんなことはない」という意外な返事。本人いわく「私ほど自分の稽古事ために お金を遣った人はいない。もう思い残すことがないくらい、自分がしたいと思うことは全部やった。子供のことには関心がなかった。通信簿やテストを見せろと言ったこともない」 というようなことで、親認識と子供はこんなに違うんだ!私の今まで思い込みは何だったんだろう!…と、相当してしまったような次第。そうだよねえ。もし母親が絵に描いた ようなマザーだったら、いま現在の私がこんなに楽天的なキャラクターでいられるはずがない。(自分に対してこうあるべし、という思い込みがない)が私だもんねえ。 自分の生き甲斐を最優先する母に放って置かれたおかげで育ったような私が、自分の子供に対しては「こうあるべし」なんて理不尽なこと要求してきたんだろうか。わあ、それはかわいそうなことをした。 季節が巡してまた春がやってきた。自分が4月生まれだからか(偶然2人もそうだし)私は春になると嬉しくてどっくんになる。たまたま応募した印刷会社の採用試験にパスして (といっても身分はパートだけど)、ちょうど1年続いたパン屋のアルバイトから撤退。念願通り印刷業界に足を踏み入れることになった。ゆくゆくはDTPオペレーターとして 立ちしたいという望があって、周縁部分に辿り着いた感じ。Yが中学生になっていれば「後憂なし」なんだけど、あと23年待てば雇用チャンスが減るという現実を前に、 舞台から飛び降りる覚悟で決心。コンピューター揃えれば小さな印刷屋が開業できる時代なんだから、やはりここは「石の上にも3年」覚悟で技術を習得したい。 Sは何とか2年に進級(落第するんじゃないかとこっちは心配した)。最後まで担任の先生に迷惑かけて、親としては「穴があったら入りたい」日々だった。 (とうに提出済みなんだと思っていた「まとめ」が春休み明けになっても未提出だと担任の先生から連絡があった時にはギャッ!と叫んで卒倒しそうになった) 本人も「親には全然似ていない気がする」なんてケロッとしていて。「子は親とは別な生き物」という実感が、以前にも増してヒタヒタと迫り来る。落第しようがもう知らんもんね。 納得してやったことのツケは年月をかけて本人が払うしかないんだから。789日あたりに入学式が行われたところが多かったらしいけど、J学園は12日が入学式(詳細は次号にて) とあって、ことのほか長く感じられた春休み。新学期始まれば生活リズムが変わりそう(何せ朝が早い学校ゆえ)だし、1〜2年もすればSも成長するだろう。 春休みの間、朝起きると決まって「また6年2組の夢を見た。先生も出てきた。ああ嫌だ。」というSの訴え。毎日のように同じを見る、という現象をどう解釈したら良いのかな (意識でもクラス問題にSがいた、ということは当然ながら)と思っていたら、ちょうど読んだ本に参考になることが書いてあった。 「どんな服装がふさわしいか考えるのも勉強のひとつ」とのことで、通常は私服。上品を基本的なトーンに「ブラウス+カーディガン+スカート」を組み合わせて自分で選んでいる。 「トレーナー+半ズボン」だった小学校時代に比べるとキチンとしてみえる。初めてのバス電車通学 入学式帰り道、初めてひとりで帰宅したのを手始めに、翌週月曜日からは ひとりでバスと電車を乗り継いで通学することとなったS。朝早いJ学園(7時40分集合、50分開始)では、寮生は5時半起床して朝食作り、掃除から1日を始める。 自宅通学生Sは、母が用意した朝食を食べるだけだけど、バス時間都合で6時半には自宅を出ることとなり、起床は5時半と相成った。緊張と疲労で「帰ったら寝るだけ」だったSも 少しずつ新しい生活に慣れてきた様子。「お話とマンガ描くのが好き」という理想的な友人にも巡り会えたとか。(J学園にはそういう子もいるだろう、という母が当たった!) 相変わらず情熱的にカセットにお話吹き込んでいる子供達を見ながら、「こっち方面の才能伸ばすために良質な与えなくちゃ」なんて感じていたこともあって、この度『おやこ劇場』に入会した。 Tで「準備会」ができた時間入会したけれど、自前ホールがないのと交通便が悪かったとで、数えるほどしか舞台をみることができなくて、不満に思っていた。 引っ越しで退会したままになっていたのだけれど、舞台がみられない生活はやっぱり寂しい(都心までセッセと出掛ければ別だろうが)なんてことで、今回入会と相成った。 当地では地利良さを生かして、「乗り入れ情報」フル活用した舞台三昧生活送るぞ!なんて張り切る6月である。なにはともあれ、この先いろんなものが見られるのは楽しみ。