子供時代データ☆のびどめ通信etc... またNew!Data大量発見したから、いちおーうpしときますねっ(^_^;) アニメ『ポケモン』みていた子供達が数百人単位でてんかん発作を起こしたというのは、本当にSF的で「宇宙人の陰謀じゃないか」なんて叫んじゃったよ。 (このニュースにヒントを得て、何人もの小説家が新作書き始めたことだろう。)唐突に極端な症状が出たからさすがに世間も騒いだけれど、長期的にじわじわとテレビによって 我々の精神がまれていることに対しては、恐らく人々は無頓着なんだろう。テレビみせて育てた方が良かったのか、テレビみせずに育てた方が良かったのか、今では私もわからない。 Yさん経由でSがJ学園に進学したことを知って電話したそうだ。Iさんは学園OBではないけれど、お母さんが『Fの友』読者だった関係で、J学園のことはよく知っているとか。 「Sちゃんもご立派になられたでしょう」なんて言われると、グッと詰まりそうだった。こちらが困り果てるのを見透かすように、出掛ける間際になって「行かない」と曲げることの 多くなったS。去年はこれでチケットを何枚も無駄にした。おやこ劇場の方も、「Sだけ脱会手続きしようか」どうか思案中。(もしかしてまた行きたがるようになるかも…なんて 保留しているわけだけど。)おやこ劇場も案の定Sチケットが浮いてしまって「無駄にするくらいなら」と急遽知人お子さんを誘った。するとYが「行きたくない」なんて言い始めた。 (相手お子さんと学校でケンカしたばかりなので一緒にいるのが嫌なんだって。)「どいつもこいつも情けない…」なんて言ったとたんしみじみ切なくなってしまって、 Yはさすがに慌てたみたいだったけど、私も久し振りに「カタルシス」を味わって何だかして、予定通りYと市民会館へ出掛けた。人形劇ものはつまらなかった。 「あんただって反抗期は大変だった。」byT クリスマス前にT両親がまた上京。今度は演劇観るのが目的だそうだ。K弟工房を見にKへ行った父と分かれて、母が我が家へやって来た。 我が家では当然のことながらSを見なくてはいけなくなるわけで、話は自然と「反抗期をどうやってやり過ごすか」みたいなところに流れた。「Sちゃんは小さい頃からちょっと 独特な子だった。立派な子にしようなんて欲張らず、構わずに放っておけば自然に育つよ。」「子供から笑顔が消えたらいけないよ。」なんて、思い出させるような展開だった。 子供達を「働き」のできる人に育てないと、本人も周囲も困り果てる結果になる、ということを実感しつつある母。「お手伝いに報酬を払う」ことに抵抗があって、 「家内労働は無償」建て前にこだわっているうちに子供を労働場から遠ざけていたことに気が付き、「お手伝い料金表」なるものをこのたび作成した。毎日手伝いをすればお金持ちに なるけれど、何もしなければ小遣いもなしの「現金主義」である。「メニューも自分で考えて食事を作る」というデラックスコースから、項目は様々。「楽したい主義者」Sと、 「大変でもいいからリッチになりたい」Yが、今のところ分けている。尾瀬に行きました。夏がくるたびに父が「尾瀬へ行こうよ」と言うようになったのは何年前からか。 (尾瀬には高校時代思い出がある。)というわけで今年はバスツアーを利用して、宿願「尾瀬行き」を実現させた。折しも台風が日本列島をしつつある状況下。場合によっては中止も やむなしか、と危ぶまれたけれど何とか天候も回復。夜11時に池袋出発、ままバス車内で一泊というような行軍で、鳩待峠には早朝4時半到着。バス会社が用意したおにぎりを、 5時過ぎには尾瀬ヶ原に向けて出発した。「初心者コース」を選んだつもりだったけれど、いやはや、尾瀬はなまやさしくはなかったぞい!3日たった今も筋肉痛だもんね! 先頭は挨拶隊長Y。すれちがう人に「こんにちは」と声をかける役。尾瀬ヶ原帰り道にはバテて、息切れがした!子供達はスイスイと身軽に、上りも下りもなんの。年差を実感したぞ。 お年寄りも元気に登山。皆さん元気!流れる川横で、2匹ひよこと両親がキャンプをしていました。「お兄ちゃん、けしきがきれいね。」と片方ひよこが言いました。 「うん・・・ん!?」もう片方ひよこが、いきなりがばっと身をのりだしました。なにしろ、自分目の前川で、2匹ひよこが流されていったんですから。「たいへんだ!!」2匹は いっせいに立ち上がりました。(ぼやぁん…めがまわるせかいもまわる…)はっ!!われにかえったどりっプちゃんがはねおきると、「きがついたわ…むりしないで、もう少し、 ねていたほうがいいわ」かわいい女の子顔がどアップでありました。「biw@!?ぼ、ぼくはだれ、ここはどこ?」「…こいつ、まだむこーのせかいにいるわ」となりには、ぶすっとした ちるっぷちゃんがいました。そしてとなりに、右からみしらぬ男の子、みしらぬ大人2匹、ちるっぷちゃんのお父さん、お母さん、あちあたち以上がいました。「あら、気がついたわ」 「サムエル、なかなかやるじゃあないか。さすが、わしのむすこだ。はっはっはっ」「あら、ならチャムエルのびぼーはわたくしからきたんですよ」みしらぬ大人たちがわいわい 言ってる時に、どりっプちゃんは、今までのことを思い出していました。(そおか。ぼくはちるっぷちゃんにさそわれて、ちるっぷちゃんとあちあちゃんたちと、ちるっぷちゃんの お父さんとお母さんとキャンプに来たんだ。そいで、水でっぽー買って、川で流され…はっ)「み、みずでっぽー!!!」どりっプちゃんが思わずさけぶと、みしらぬ男の子が さしだしました。「ああ、それなら、ほら。君たちがしっかりにぎりしめてたよ」「あ…ありがとう…」どりっプちゃんがいうと、男の子はにっこり笑って、「ぼくはサムエル。 こっちは、妹のチャムエル。よろしく」さっきの女の子を指さしました。「ど、どりっプです…」「ちるっぷよお!!」なんだか、おもしろい事になってきました! Sいわく、小学校生活最後ビックイベントであるはずの修学旅行は最悪だったのだそうだ。ちょうど3年生懇談会が終わって外を見たら、帰りかけているSを発見。追い付いて 「どうだった?」と聞いたら「つまらなかった。詳しくは家で」とのこと。結論としては、機嫌が変わりやすい少女たちに振り回されたり、相変わらず担任先生とも会話が なかったりで、1泊2日旅行を通して、心に触れるようなやりとりが誰ともなかったのだそうだ。表面的には仲が良いようでも、実際はつまらないことで繰り返していて、 自分ストレスを他人にストレートにぶつける無神経さがたまらなく嫌だという。後日修学旅行作文や日記を提出しなければならなくなって、「つまらなかったということしか書けない、 どうしよう」なんて言うから「小説だと思って書いたら」とアドバイスしたら、「なるほど」と納得して完璧なものを書き上げてきた。「思い出深い旅でした」などというで どりっプちゃん、ちるっぷちゃん、サムエル君、チャムエルちゃんが公園につくと、「・・・いた!」しげみに隠れながら、ちるっぷちゃんが小声で言いました。 ジャングルジムてっぺんには、なんと、あちあたちがあみにとらえられています。そして、ちるっぷちゃんお父さんがいて、見知らぬオスにわとりとにらみあっていました。 (あとの大人たちは、後ろにさがっていました)「ひさしぶりだな、タマタマ。」見知らぬにわとりが言いました。「…サブ、おまえだったのか」どうやらこの見知らぬにわとりは、 サブという名前のようです。「ふん、ださい名前。」ちるっぷちゃんがボソッとつぶやきました。「おまえに、決闘をもうしこむ!」サブがさっと銃をとりだすと、 (どこから?)ちるっぷちゃんのお父さんもチャッと銃をかまえました。「やっぱり、銃もってたんだ…」時です。それは、ほんの一瞬ことでした。どりっプちゃんが言うよりも早く、 ちるっぷちゃんがジャンプしました。3メートルほどとび上がったでしょうか、くるりとサブ方に体を向けると、急降下し始めました。(ひえ〜!)どりっプちゃんは見ていられなく なって、目をつぶりました。「ドスン!」にぶい音がしました。おそる目をあけると、サブが、目をまわしてたおれています。ちるっぷちゃんは、サブに、体あたりをしたのです。 大人たち、サムエル君、チャムエルちゃんは、ぽかぁ〜んと口をあけて立ちつくしていました。どりっプちゃんが、「ああ…」と、さもサブに同情したというふうにつぶやきました。 ちるっぷちゃんは、「フッ…決まった…」と、ニヤリと笑いました。初夢で試験に合格したのを手始めに、このところSは景気良いばかり見るそうな。元旦に近く神社に初詣でに 行っておみくじひいたら、「もうすぐ環境が変するでしょう」と書いてあったので、本人は「つまり合格ってことさ!」なんて大喜び。ほ〜んとに楽観的な子だなあ。 入試直前特別企画 これが入学願書だ! 今年最大ビッグイベント・S入学試験がいよいよ目前に迫った!調査書(極秘扱い。中身は不明)、健康診断書、写真、作文 (@私がJ学園を望するわけUA私の家族B私の尊敬する人)揃ったから、あとは願書添えて持参するだけ。それにしても願書には何て書けばいいのやら。この際ほめまくるべきか。 というわけで、とりあえず作成した文面を一挙公開! 自分の感情や欲求を、書き言葉や話し言葉に置き換えて客観化することができるせいか、衝動的な行為に走ることがなく、 親から見ると心の通いやすい、育てやすい子供でした。善悪に対する判断力や感覚、公正さを愛する心は順調に育まれていると感じます。小さい頃から絵本が好きで、早くから物語を 作ることや絵を描くことに関心を示し、現在でも時間があれば創作しています。せいか、学科方もどちらかといえば理科系より文科系科目が好きなようです。 時間を豊かに使うことを知っているせいか、気晴らしを求める傾向もなく、好ましくないことについては同調しないを持った子でもあると思います。 江戸東京博物館へ行きました。春休みということもあり、前から目をつけていた両国へ母子で出かけた。「江戸はしぶい!日本人は愛しい国民!」なんて母は手放しで感激してしまった けれど、子供達もそれぞれ理解度に応じて楽しんだ様子。(作った数々再現ミニチュアが力作揃い。)近現代史コーナーでは、声なんかも聞けるしくみ(どっちもバカと呼ばれて かわいそうに。)午後にMちゃん宅に寄る約束してしまったので後半飛ばしてしまい残念。次回は時間かけて隅々まで見たいよお!「J学園に入ったら本格的に絵勉強をしたい」 なんて、立派な述べていたSセンスをもう少しなんとかしなくちゃ(マンガはともかく絵がイマイチ!チープでキッシュなS絵をみるたびしそうになる母!)なんてことで 「よおし、春休みは美術館巡りだ!」と花火打ち上げたはよいけれど、ブリジストン行っただけでメゲてしまって(東京は人が多くて疲れる…)結局ぐーたらしながら過ごした春休み Kおじさんのガラス工芸スクール開校とS入学を祝して、Tおじいちゃんとおばあちゃんが久し振りにやってきた。長年教職にあったおじいちゃんは昔からJ学園教育に関心を持っていた (わざわざ見学にも行った)そうで、「まさか孫がJ学園に入るとは思っていなかった」なんて感慨深げな様子であった。(S入学を1番パワフルに喜んでいるのは祖父母みたい。 あの時代人はJ学園に特別な思い入れ持っているみたいだ。)たまには違う図書館にも行きたい!てなことで、春休みは子供達連れてS図書館へ行ってみた。 (開館直後にKさんと一緒に見学に行ったことあり。子供本とAV資料だけ地下1階に集めてあるのが面白いなあ、なんて思った。)好評だったので翌週は貸し出しカード作って 本も借りた。基本図書はどこの図書館も大して変わらないと思うのだけど、使いやすい図書館は利用者本位書架配置がしてあって本鮮度が良い。本好きな司書のいる図書館本は よくられていて「あたしを選んでちょうだいな」といわんばかりに書棚から身を乗り出している感じがする。「みなさん、お茶がはいったわよ。」ちるっぷちゃんのお母さんが、 みんなにお茶をくばりました。(子どもたちはオレンジジュースでしたけど)ここは、サムエル君たちの家テント。ちるっぷちゃんの家テントは協力して片付け終わりましたが、 サムエル君たちの家テントはまだだったのです。「ねえおやじ、なんでサブってやつ、知ってたの?」ちるっぷちゃんが、ストローをいじくりながら質問しました。 「…わしは前、盗賊だったんだ。」「えーっ!おじさん、盗賊なのー!?」どりっプちゃんが大声をあげました。(いくらなんでも、ここまでやるとは!) 「前だよ前、昔。…それで、サブといっしょに盗賊をしていた。ただそれだけ。」「…ちがう!」いきなり、サブが立ち上がりました。「宝をわけた時、こっそりオレの分まで とっていきやがって夜逃げしたのは…どこのドイツ人だ!」…シ〜ン…みんなの目がになりました。「うっけないギャグ〜。」「おじさん、そんな悪い事したの?」 「サブさんサブさん、あんたギャグセンスないよ!」「そんなくだらん事で、ケンカするな!」みんなに言われて、2羽はになっています。と、どりっプちゃんがハッとしました。 「こんな事やってる場合じゃないよ!もうすぐ、警察がくるんだよ!」みんなもハッとしました。そうです。もうすぐここへ、警察がサブを逮捕しにやってくるのです! サブはうなだれて言いました。「いくらがあるにしろ、タマタマたちをさらったのはこのオレだ。…タイホされるだろうなあ。」しかし。手をちるっぷちゃんのお父さんがギュッと にぎりました。「いくぞ、サブ。ふたりで警察にあやまりにいくんだ。」ともあれば1日に1度も先生と言葉を交わすことなく家に帰ってくるようになっていました。 いつも「待ち姿勢」に徹しているような方に原因があるのは分かっていますが、先生と気持ちが通わないさは、気の合う友達が見つからず、子供たち中に安心できる居場所が なくなっていった時期、とくに切なく響いていたのではと思います。風邪をひいても学校を休みたがらなかった4年生時とはうって変わって、学校に行っても何も楽しいことがない という思いは、だんだん学校嫌いにしていきました。さすがに「学校へ行かなくてもよい」とまで言う勇気はないもの、機会があればなるべく休ませてやりたいというのが私の本音でした。 中学生になってから、不登校仲間入りをしてしまったを見ながら、今更仕方のないこととは思いつつも、「56年がああじゃなかったら…」と恨みごとの1つも言いたくなることがあります。 クラスがあんなじゃなかったら地元公立中へ進むことにあれほどためらわなかっただろうし、入試前に無理やり勉強させて親子関係をブチ壊すようなことにもならなかったし、 ここまでことがなかった…ああ、担任がI先生じゃなければ、すべてはもっといい方向にいたのではないか、こんな怒りが時々くるのです。12月24日にTで親子読書会恒例 クリスマス会をやることになった(解散後も名残惜しげに会っている私たち)。クリスマスにちなんだお話をひとつずつ、早々と書き上げてしまったSとYではあるが、それをどうするか (紙芝居でやるか人形劇でも作るか)が問題だ。ぼくは足あとをたどって、かぎ分けながらずんずんと進んでいった。きっとにせサンタは、この先マンションかどこかに入りこんで いるのだろう。でも、もしも、にせサンタがあいつをころしていたら、大変だ。今からでも間に合うかもしれない。急げ!わんわんリーダー!ぼくは自分を元気づけて、 スピードを上げて走って行った。どんどん走って…あれっ、足あとがとぎれている。この下に何かあるのかな、ぼくは前足でそこらをさぐってみた。穴がある、すごく小さな穴。 きっとはんにんはすごくチビで小さいやつなんだ。はんにんくさいもする。ぼくは体をちぢめて、やっとこさ中に入った。はしごを伝って下におりると、そこは小さな部屋になっていて、 すごく。キョロキョロ辺りを見回すと…いた!サンタクロースかっこうをしたチビモグラが!「グルルッ!」ぼくは毛をさかだててみがまえた。するとそいつは言うんだ。 「やめてくださいよ、わたくしはここの家だんなで…。」でも、たんていはそこでゆるしてはいけない。「なんだと!ウソをついてもムダだ!」そいつはぼうしをとって、 今度はベッドの下を指さすんだ。すると、そこからまたまたチビのおばさんモグラがはい出してきて、こう言った。「ごめんあそばせ。」ずべっ!ぼくはずっこけてしまった。 なんと、おばさんモグラ後から、もっとチビのモグラが次から次へと出てきたのだ。「あ、これは、こういうわけでしてね。」おばさんモグラは話しだした。一体どういうことなんだろう。 毎度のことながらわさわさと年が暮れ、ずるずると新年が明けた。不自由だからこそ正月が、24時間営業のコンビニが登場して以来後戻りできないくらい変質してしまって、 感受性がした中年にとっては正月すら「昨日と同じ今日」連続だったりする。でもまあ、1年を振り返り親しい抱負など述べたくなる季節が巡ってきたということで、母から見た 家族の近況を記録してみたい。まずはS。幼稚園の入園式で大泣きしたのが人生最初の試練だったとしたら、中学受験は久々にやってきた2度目の試練というべきか。 お気楽にひとまず区切りをつけて、2学期からは常にはなく制限の多い毎日。「本人次第」なんて言いながら、実放っとけなくて、見ながら青くなったりしている母は、 おかげでいざとなれば自分がどんなにあたふたするか思い知る結果に。3年後の高校入試に向けて実にいい経験をした、ということかもしれない。Sは学校生活も不本意なことが 続いたし、受験のストレスまで加わって相当じゃないかと思うけれど、なったりイライラした様子が見られぬところは精神力か。空想力やユニークな視点が、現実に対する 抵抗力源になっているような気がする。母の小言も世間の雑音も聞き流して、ストレスたまればさっさと寝てしまい、いやはやなかなかタフな子です。 次がY。「完璧にやろうとすると病になるから、もっといい加減でいいんだよ」と余計な心配したくなるほどに、親の願望先取りして頑張ってしまう傾向あり。恐るべき集中力と 根気で、何に対してもオールマイティさを発揮。早熟な子だから話相手としても不足はなくて、同世代と話しているように陥ることも。ただ親期待を先取りして頑張るタイプの子は 思春期以降「借り物人生だった」なんていうアンデンティティ・クライシスに見舞われる危険性もあるのだから、そこのところは要注意だな。親期待なんてあくまでもゴーイング・ マイウェイSの方がある意味なのかもしれない。とすれば、SやYの驚くべきさは、時々の感情を話し言葉や書き言葉に置き換えることができる、という能力と深い関係がありそうだ。 (テレビみせずに絵本で育てた甲斐があった、というわけさ。)(小さかった頃)近所のお母さん達と幼児サークルを始めたら、方向をめぐって意見が対立して結局別れてしまった ことがあった。「読み聞かせを中心とした活動にしたい」という意見(K母はこっち)と「本なんていいから外で好きに遊ばせたい」という意見が、最終的には水と油みたいに 折り合い不可能になった。当時、小さい達をどういうふうに育てたいかと考えた時、「本を読まない人になったら嫌だ」というめいた気持ちがあった。子供を本好きにする為には 条件整備からと、文庫を作ってボランティアで運営したり図書館を作る運動に関わったりもした。文庫のおばさんとして理論するために、子供の本について勉強を進めるにつれても、 子供の心や思考力を育てるには読書習慣をつけてことばを豊かに育てるしかないという確信が。さあて、あれから経て、まあ年齢相応のものをマイペースで読んでいる様子。 本なんてものには触れもしない子が多いことを思えば、幼少時からの母習慣が少しは報われているのかも。ことばを育てることによって心と思考力を育てる、というはどの程度 達成されたのかな。母では、2人とも優しさや想像力にあふれた気持ちの通いやすい子に育ったと思う。現代っ子が多用する「超ムカツク」などという思い上がったことばを使わぬ (Sはこのことばを聞くと本当に嫌な気持ちになるそうだ)ところも、正常な言語感覚が育っている証拠だろう。この子達が中・高校生ぐらいになった時、親の説教にそっぽを向く 時期が必ずやってくるだろう、ということも考えた。価値観やついた人生観を振り回す大人に逆らってみたくなった時、本を読む習慣が身についていれば何とか峠を越えていける だろうし、そうじゃなければことになるんじゃないか、という心が母にはある。「小さな秘密の小箱=自分だけの世界」を沢山持っている子供は幸せだと思う。 巡り合わせが悪くて関係に恵まれない時期があっても、豊かな想像力があれば現実なんて笑い飛ばす余裕ができるだろう。子育ての上手じゃなかった母が手渡すことができたのは