のびどめ通信・およよ本舗・少女ぽんず・たけのこ通信 持久走大会が好天に恵まれて行われた。家→調理室→校庭の三角形をめまぐるしく移動しながら、同時進行でクラスレクの準備までして、あ〜あ疲れた! なにはともあれS15位、Y20位の好成績(昨年はふたりとも10位だったから大幅ダウンながら)で、ふたりにしては上出来だったとほめてやりたい。 自分の子にもよそ子にも惜しみなく拍手を送ったM小に比べると、N小の父兄は所在なくただ眺めている感じで、「これも校風だな」といつも思う。 長時間観察していると、集団で浮遊する今時の子供達の生態がよくわかった。けじめのない喧騒がいつまでも続くのは「クラス経営の失敗」を物語っているのか。 11月17日にJ学園の工芸展を見てきた。なかなかの出来栄え(機織り、ステンシル、草木染め、刺繍などの手工芸品 それに陶芸や木工が伝統的にいるみたい。)で期待を裏切らぬ内容だった。初等科の生徒たちもとても絵が上手で よほど指導者がいらっしゃるのかなと感じた。(Sは、美術で!なんて論んでいたけれど、入試ではああいう子たちと競うことになるのだから、ますます状況だとわかった。 万が一入学することになれば毎日昼食をとることになる食堂(J学園では食事も生徒の手作り)でパンと紅茶をいただいて、 「指図されずに自己管理できる人こそ偉い。本当に行きたいんならひとりで頑張ってごらん。」てなことで全て本人任せということにしたのだよ (Sの自己管理能力を全面的に用しているわけではない。ただし任されてやったことの結果くてもそれなりにいい経験になるのではないか)。 いきなり消えてしまった図書館まつり。代わり第一回目の大橋公民館まつりが11月に行われるそうなので、読書会としてはそちらに参加することに決定。 レオレオニの『あおくんときいろちゃん』を採用。あとはパネルシアターや詩の群読(宮澤賢治だぞい)があったりして、結構レベルになりそうである。 子供同士のトラブルに「不介入主義」を貫く担任の真意が最後までわからず、当然の結果として「サル山状態」になってしまった6年2組。 「いちぬけた」とばかりにSはもうすぐ皆ともお別れだけど、次年度以降こういう先生に受け持たれる子供達の被害たるやではないか。 Sは17日、Yは19日が終業式で、それぞれ夏休みに入った。J学園にはいわゆる通知表はない代わり成績報告会なるものがあって、 全員の前で発表されるのだとか。(様によってはそれもキツイ。)父母会で担任の先生から、「成績については本人からよく聞いて 「ペーパーテストによる順位付け」がない生活は中学生と比較すればのような生活だろう。ただしお気楽さの上にあぐらをかいて、 (「入れてしまえば後は安心」だなんて、やっぱり甘かったなあ!「気持ちを入れ替えないと、J学園生としてはこれが最後の夏休みになるかもよ」 さあ、あと少したったらこうじちゃんがきてしまいます!早くしないとトライくんがうめられてしまいます! みんないっしょうけんめいに、作戦をましたが、思いつきません。・・・と、コーピくんが何かを思いつきました。 「そうだ!わかった!『こ』ちゃんは親分に弱い!ということは親分のいうことなら何でもきく!」 「そうかっ!わかった!つまり親分にへんそうすればいいんだねっ!」みんなはわかりました。 みんなはさっそく用意を始めました。10分ぐらいで用意は完了!しばらくすると『こ』ちゃんがやってきました。 1番上にいるコーピくんが「『こ』ちゃん、ご苦労だ!でもこの穴の中にいるやつを助けてからにしろっ!」といいました。さあ、『こ』ちゃんはどうするかな? ?おもしろい形の4人組(ノーパン・ポーヌル・トライ・コーピ)が主人公の物語。形をうまく組み合わせて局を乗り切っていくストーリー。 ?道路工事スタイルの3人組。『こ』と『う』と『じ』がいる。容赦のないキャラクター。「こうじちゃん♪こうじちゃん♪」と3人でハモりながら登場する。 「ここが小学校かぁ」「小さくてかわいい所ね」ほんの15羽くらいしかあつまっていない体育館に、ランドセルをしょった2羽のひよこが入ってきました。 サムエル君とチャムエルちゃんです。すると、「お〜い!サムエル〜、チャムエル〜っ!」元気な(でかい)声と共に、ちるっぷちゃんが走ってきました。 「おっはよー!どりっプ、まだ来てないみたいなんだ。まったくんだから。あれっ、親は?」「お仕事でこれないんだ。」「ちるっぷちゃんのお母さんたちは?」 見てみると、なんとどりっプちゃんがわんわん泣いていたのです!「・・・どりっプ・・・・・・!?」3羽に気付いたのか、どりっプちゃんがこっちにふりむきました。 (ち、ちるっぷちゃん・・・!?サムエル君、チャムエルちゃんも・・・ああ、今日からちるっぷちゃんと毎日会うなんて・・・!) 今日は日曜日です。ですから、ふつう、ほとんどの学校はお休みです。だから、あたりまえですが、小学校もこの日はお休みなのです。 さて、第三の理由なんですが・・・。「どーりっプっ!あーっそぼー!」・・・これです。そう、ちるっぷちゃんなのです。 「・・・ちるっぷちゃん・・・わるいんだけど、今日は・・・。」「児童公園に、アイスクリーム屋がきてるんだ。いそごっ!」 ちるっぷちゃんは、どりっプちゃんの手をつかむと、猛スピードで走り出しました。どりっプちゃんは、ため息をつきました。 児童公園にあっというまに着くと、アイスクリーム屋さんの車が、すみのほうで子供たちにアイスクリームをくばっていました。 「あたし走ってつかれたから、どりっプ買ってきて。あたしチョコね。」ちるっぷちゃんにお金をわたされて、どりっプちゃんはしぶしぶ車にむかいました。すると、 「あっ、どりっプー!」「え・・・あ、サムエル君、チャムエルちゃん!」サムエル君とチャムエルちゃんがいました。 3匹が少しおしゃべりをしていると、どうも、中央のあたりに、動物たちが集まってきています。「どうしたんだろ?」 どりっプちゃんたちがのぞいてみると、「ちるっぷちゃん!」ちるっぷちゃんが、同じのクラスの、なおちゃんとケンカをしていたのです! 入学式から3日がたちました。どりっプちゃんたちは、1年ひまわり組に、めでたく入学しました。(全校で81羽しかいないので、1学年1クラスなのです。) 担任の先生は、ゆうこ先生というとってもきちんとしていい先生なのですが、どりっプちゃんは、なぜか学校ではいっそうおとなしくて、 「でっ・・・できないよぼく・・・サムエル君がいったほうが。」すると、「大丈夫よ、どりっプ君ならできるわよ!」チャムエルちゃんが言いました。 ガラッと戸を開けると、たくさんの先生方の目がいっせいにこっちにあつまりました。「ゆゆ・・・ゆうこ先生いまっすか・・・」 「ここがぼくの部屋です。」トム君の家に案内されて、へやに入ると、「どっっかーーん!!!」目の前で、すごい爆発音がしました。 お気に入りがボロボロになったちるっぷちゃんが、くってかかります。しかし、これだけすごい爆発があったのに平然としている ところをみると、こういう体験を何度もしているのでしょう。さて、改めて部屋を見回してみると、・・・科学の本やらがつみかさなっていて、 まるで足のふみばがありません。なにやら、すみの方に大きなたまご形のものがおいてあって、ふろしきがかかっています。 「い・・・いいけどタイムマシンは平気なの・・・?」どりっプちゃんがたずねると、「大丈夫ですよ、ちょっと黒コゲができたぐらいで。」 「それでもじゅーぶんにヤバいよ」ナオちゃんがため息をつきました。「それで、タイムマシンはどこに?」チャムエルちゃんがたずねると、 「ちちるっぷちゃんっ!なにやってー・・・」どりっプちゃんたちがいくら止めようとしても、ちるっぷちゃんには聞こえないようです。 「すごい・・・恐るべきちるっぷパワー・・・」「サムエル君・・・ああどうしよう」どりっプちゃんがオロオロしていると、 「ど、どうしたもこうしたも、あのふたりがけんかしちゃって・・・」するとメガネ少年は、ずんずんとちるっぷちゃんたちのほうへ進んでいったかと思うと、 「ナオっ!やめるんだっ!」すごい迫力で言ったのです。するとナオちゃんは、「・・・ト、トム・・・?」ぴたりと動きを止めました。 ちるっぷちゃんとナオちゃんはといえば、むっつり顔でそっぽを向き合っています。「あの、ふたりは兄弟・・・ですか?」 どりっプちゃんが、おずおずとたずねると、「ボクとナオはいとこどうしなんです。−あ、申しおくれました。ボクは、トムといいます。」 ふかぶかとおじぎをされたので、どりっプちゃんたちもあわてて、「ど、どりっプです。こっちにいるのがちるっぷちゃん。」 今日は日曜だし、ぼくの発明品で遊びませんか?」「発明品・・・って、なんですか?」「タイムマシンです。」「・・・えーっ!?」 ひきがえるのウォートンとモートンはすごく仲のいい兄弟。あまり仲が良すぎるのでおどろいた。家じゃあぜったい無理なことだろう。 でも、ちょっとしたことからこんなにすごいぼうけんになってしまうなんて。ついにイタチ達につかまって毎日ひどいくらしをさせられた。 イタチは9匹いて、家の作り方を教えないと食べてしまうという。「がんばれ、ウォートン!がんばれ、モートン!」私は心の中でいのった。 でもあまりにもイタチ達の仲が悪いので、木の家なんぞできなかった。私はこの文章を読んでがっくりした。 これで本当にウォートンは助かるのだろうか?でも友情というものはすごいものだ。イタチ達もだんだんわかってきて、みんな少しずつ仲良くなっていった。 ある日、イタチの仲間のフリーダがタカにつかまってしまった。心のやさしいウォートンはくふうしてフリーダを助け出した。 私は力を合わせて何かをすることに感動した。ウォートンとモートンはぶじに帰ることができた。 イタチ達もいいことを覚えたし、最後は心がすっきりした。このシリーズは全部読んでしまったの まあなんとか無事に夏休みが終わった。子ども達にインタビューすると、予想通り「Tの友達とキャンプに行ったこととおばあちゃんちに行ったことが面白かった」 8月4、5、6日のオートキャンプではT姉妹は完全にぶっとび状態で、普段の水嫌いも何の、洋服のまま頭から川に漬かって遊んでいた。 見飽きるくらいに行ったキャンプ場も、友達と一緒だと違うらしくて、帰ってからも「またみんなで行きたい」とアンコールの声ひとしきり。 意外にいとことやっためんこ遊びが一番面白かったそうだ。こういう年頃に一緒に遊ばないと「親しみのわかないいとこ同士」になってしまう キャンプ用具を揃え始めたT父。夏のボーナスのほとんどはテントやら折りたたみ式テーブルセットやらに消えたのである。 「ゴルフもいいけれど、これからは家族との時間を楽しみたい」なんて、あらあら、どっかの雑誌に書いてあるようなこと言ってるよ。 肝心のキャンプであるが、早速6月27、28日とAのキャンプ場の予約をしたもののS病のため中止とあいなり、お楽しみはちょっと先に延びたのであった。 7月11日(土)、Sが学校から帰るのを待っていよいよ初めてのオートキャンプに出発。関越に乗って1時間で目的地のNオートキャンプ場についたのであった。 キャンプ場というのは何となく林の中にあるのだと思い込んでいたT母子は、景勝地でテントの設営をすることを知り、ゴージャスな眺めに驚いたり喜んだりしたのである。 なんせ初めてとあってテント組み立てに結構時間がかかり、後からやってきた人々に追い越されたりもするのであったが、 カタログで事前学習を十分積んできたT父の万全の準備体制のおかげで「あれが足りない、これが足りない」ということもなく、 きょうはキャンプに行きました。キャンプじょうについた時、テントをはりました。ずいぶん時間がかかりました。 テントの中にはいってみると、すこしむしあつかったです。おひるになって、お母さんが火でごはんをたきました。 そしたらうまくのぼれました。夜になってテントの中でかるたやきもだめしをしました。すこしこわかったです。 前回で御馴染みの「ちかばのあなば」Mへ迷わず直行した一家であったが、トランクにゴミ(古雑誌の類)を不可能なほどつめこんで車体が傾いていたわん。 今回利用したオートキャンプ場のほうは、地主がほったらかしの山林に「キャンプ場」と看板をかけただけの、炊事場なしトイレなし「いくら何でもねえ」といいたくなるような なにはともあれ一晩かかっても燃やしきれない紙の山を前に、念願の焚き火に取り掛かった一家であったが、出来上がった灰の量も膨大で 無心に炎に紙を放り込んでぼーぜんとした一家はトランプ遊びをする気力もなく寝床についたのであるが、11月も半ばとなると夜中は冷える!寝袋なんぞはほとんど役に立たず、 友達作りに積極的なSさんが学年が同じSに「仲良しになろう」と声をかけて、当初一緒に帰宅したり交換日記をつけたりしていたけれど 「一緒に別の子を無視しよう、なんて誘うから嫌い」「早く帰りたいのに待たされて嫌だ」「一緒にいても楽しくない」などなど、 Sの方が逃げ腰になってきて誘いを振り切って帰ってくるようになった。それがSさんの怒りを買う結果になったらしくて、逆に「あの子を無視しよう」の対象にされてしまった クラスが違うし、登下校時間も知れているし、登校班の他の子たちもSさんの誘いに乗るふうでもなかったから、さほど実害はないものと楽観していたのだけれど、 午前10時から午後3時まで昼食抜きで話しこんで、疲れた。(図書館のことで市長や教育長に交渉したときだってこんなに疲れなかったよ。) マンモス校だから父兄まで体育館に入りきらない、というあたりが真相だろうが、親の評価を先生方がうっとおしく思っているという話に「さもありなん」と頷いてしまう寂しさ。 だから、経験豊富な先生方のを逃れるすべはないだろう。わかっていることだけに、改めて指摘されると辛いもので、率直な先生に感謝しながらも、 やはりジレンマの針ネズミになって帰宅した母であった。入ってしまえば何とかなるだろう、なんてイージーに構えていた母は、やっぱり甘かった!! 7月26日から28日まで、2泊3日のサマーキャンプが行われた。S57団のブラウニーは、今年はT99団と合流してのキャンプとなった。 キャンプとは名ばかりの「国民宿舎」泊まりではあったが、親元を離れて初めての長旅+2泊3日とあって、送り出す方の不安は尽きない。 この時ばかりは日頃の過保護ぶりが悔やまれながらも、この機会に少しでも「身辺自立」して欲しいなどと、虫のよいことを期待する母であった。 ドサクサにまぎれて『T親子読書会』なるものをデッチあげたこと。ヒントは前日のSさんとの電話の中にあったわけだが、「最初に名前ありき」という軽さがたまらない。 しかし基本的に責任感の3人のことなので、7月4日にはかの『親地連』の世話人にして親子読書のベテラン・A先生宅を訪問し、 7月18日には、O公民館で3人で「設立準備会」を開き、27日にはO分室にて資料集め、そして8月1日には第1回目の催しとして Kさんのブックトーク、Sさん、Tの読み聞かせの後、真新しい調理室を使って「コロッケとロールサンドとやさいスープ」を作り、 緊張するとになる傾向のある最近のSは、案の定過度の緊張で黙っていることが多く、母をやきもきさせたが、お料理はそれなりに面白かった様子。 勝手知ったる仲間なのでこれから運営もスムーズに進みそうだし、実質本位なところがいいなあ。麦っ子の木曜開館のように、 それがいわゆる学校制度に復帰することを指すのかどうかは別にしても、中学修了の資格すらないとなると、高校以上に進学するチャンスはまた限りなく小さくなってしまうのは 「仕方がないですね」と寂しく微笑んで校門から退出するしかない、と思っている。そういう結果を選んだのも、結局は本人なんだから。 カウンセリングというのは、実際的な効果はない、と今では思う。他人の目に映る私たちの家庭や親子関係、といったことに想像力を働かせるチャンスを与えられているだけだと思う。 もっともカウンセラーを置くことだって、学校にとっては「こんなふうに生徒の心のケアに気配りしています」という証明の手段になっているわけだ。 生まれて初めてカラオケボックスなる場所へ行った!夏休みにSのクラスメートのOさんが泊まりがけで遊びに来た夜 (T・K・Yの3名はSとは別行動をとってIへ帰省)、何と中学生ふたりでSのカラオケボックスへ行ったそう。 「カラオケなんて」とビビって嫌がっていたSは「1回やってみたら意外に面白かった」そうで、それからは「行こう行こう」と催促。 大蔵省(つまり私)のGOサインが出たとたん、切ったようにパソコンの周辺機器が増えて、リビングが瞬く間にコンピュータルームになってしまった。 SはもっぱらEメールとチャットで日本の津々浦々に友達作って、「朝まで起きてキーボード叩いていた」なんて生活。 不登校の子たちには生身の人間と付き合って傷付くよりは、こういう形でワンクッション置いて友達を作りたいという欲求がのではないかと思う。 こういう時期、誰とも会話しないで過ごすことなんてできないわけだから、コンピュータによって孤独感を紛らわせて救われたと感じている子も多いのだろうな。 「何に対しても自信がない。うまくやっている周囲の人をみるとイライラする。一日学校で過ごして帰ってくるとすごく疲れる。」 「キーボード早打ち練習ソフト」で独学して、あっという間に文字入力できるようになった。(今じゃ「かな入力」派の私より Eメールやチャットで知らない人とおしゃべりすることも増えた。(メール友達に物をもらう約束をとりつけ、実際に郵送されてきた!) S県民の日である11月14日、O町のみかん園に「みかん狩り」に出かけたSたち。 みかんの入ったネットなどお土産に持って、それなりに元気に帰ってきたのである。(帰りはYと母でSまで出迎える。) 初日はC県S市の『国立歴史民学博物館』を見学。日本の明期から現代までの歴史、民をふんだんな模型や視聴覚資料を駆使して再現してある様は、なかなかみごたえがあった。 それにしても、国立級の文化施設を持つS市がうらやましい。近くにこういう施設があったなら、どんなにか住民の暮らしが豊かになるだろう。 Iの生家を見たり(S子お手植の記念樹には笑った。)途中の海岸で遊んだりして、宿泊予定地のC町についたのは夜7時過ぎ。 JTBご推薦の『C館』は別にどうってことない古い旅館。それでも子供達は大はしゃぎで温泉につかり、広い浴場で泳ぐやら、 翌6日は『鴨川シーワールド』に直行。海の動物たちのショーを堪能した。中でも巨大なシャチのショーはかなり迫力があり、 シーワールドの次はK町の『鯛の浦』へ行き、湾内一周の遊覧船に乗る。鯛の保護も、日蓮との関わりからであったとか。鯛の餌付は他に例を見ないことであるそうな。 ところが本日は鯛の機嫌が悪かったのか、呼べども叫べどもとうとう遊覧船からはタイの姿が見えず、おじさんがしきりに恐縮していたのが印象的だった。 一昔前のお土産売り場がズラリと並び、目の肥えた消費者にはウケそうにない玩具やら置物やらが置かれていたが 日本中どこへ行ってもかわりばえのしない景色。汚い看板、安普請の家・・・。「ああ、日本は貧しいなあ」と思わず溜め息の洩れる母であったが 7月31日から8月1日にかけてCのIに出かけたT一家。主目的は海水浴にあったが、宿泊所のプールの方が子ども受けして海では泳がなかったのよ。 電子工業組合の保養所なんて地味な名前に似合わず、結構ゴージャスで(日本式庭園には鯉がワンサカ、お風呂は露天。) 早朝5時から近くの海岸で「体験・地網」なんて思い切ったことをしたのであったが、天候のせいか何なのか、びしょ濡れになって 網にかかったのは、わお、クラゲばっかし。T家の子どもたちは「お魚がかわいそ〜」なんて、泣きそうになって指で小魚をつまんで海に帰していたし 秋たけなわの10月17日、18日とA(あらしやまじゃないぞ、らんざん)で久々のキャンプ。テント張ってる人がだーれもいなくて、ちょっとあせったよ(ちかばのあなば)。 そんなことならもっとゴーカなメニューにするべきであった、なんて悔やんでみても後の祭りの水炊きを細々と作っているところなんかを 焚き火しながら家族でクスクス笑ってたら、先ほどのおじさんがまた現れ「人懐こい」T父がコーヒーなんか勧めたらおじさんも暇だったのか、 (アウトドア特集ということでスタジオの外からの放送だそうである)。昨晩あいそよく撮影に応じすぎたT一家は、失地回復をはかるように 放送局の人々に対してニュートラルな態度を保持しつつ、チェックアウトの10時きっかりにキャンプ場をあとにしたのであった。 「週末になると雨」の繰り返しでほとんどキャンプに行けなかった去年とはうって変わって、今年はめちゃ暑いぞお! 台風接近であわや中止か!と思われた7月23、24日も奇跡的な晴天に恵まれて、計画どおりAの「Hキャンプ場」に出かけたよ。 運梯(ぶら下がって渡るヤツ)ができたそうである。まっ、学校のより幅が狭くて渡りやすかったからだそうだけど、生涯運梯に縁のなかった母の子にしては上出来じゃないの。 子供時代の火遊びを思い出すのか憑かれたように焚き火をする父。エンタティメント系の読書にいそしむ母。 食事はバーベキューとカップラーメンという具合に固定化してきて(こんなところで見栄張らない賢明さ)回を重ねるごとに余裕の生まれる一家である。 たかがキャンプというなかれ、せせこましい日常から脱出して自然と感応する機会を子どもたちがどれほどしているかは、あのような喜び方を見るとよくわかる。 10月22日にO町のYさん一家とIのグリーン牧場で合流した。Y三兄弟(S、T、Aくん)のうち、長男のSくんはSの「公園砂場ともだち」 アヒルレース(参加者に棒で追われてひた走るアヒル!疲労の色濃く、休憩時間には整列して座りこんでいたアヒル!)も「動物虐待だ!」 グリーン牧場というのは今一つ時代の波に乗れずB級の位置に甘んじている場末の行楽地との印象が残った。(当地を年1回は訪れるというY一家は不思議な家族じゃないか!) 家族5人で組みつほぐれつしながら行楽地巡りするのが大好きなY一家。今年はシーズンが終わったけれど来年には一緒にキャンプに行こうね、と再会を期して別れた。 「S県民の日」にTさん母子とS記念公園に出かけた。いつ行っても回り切れなかった園内を、貸し自転車で一周して、晩秋の木々の美しさにブラボーブラボーの一日だった。 世の中確かにイヤなやつが沢山いて辛いことが一杯あるよ、でもいつかはいい友達ができるよ、お母さんを見てごらん、と励ますしかないのである。 建築業者のことも調べなかったし、現物が完成する前の「青田買い」だったから、実際に住み始めてから「早まったか!」なんて後悔した。 引っ越す時に余分なものをずいぶん処分して「無駄なく機能的に暮らすから狭くても大丈夫」なんて当初は立派なこと言ってたけど、 「あーあ、広いうちに住みたい」と私が言うとすかさずYが「今度は絶対一戸建てだよ、犬を飼うんだから」とくる。 そうだなあ、一戸建てに引っ越したら「いよいよ終の家かあ」というような感慨がじんわり沸いてくるのかもしれない。 大人の感じ方だと、うちはそんなに引っ越しの多い方じゃないと思うけれど、集合住宅ばっかりだから子供がアイデンティティを確立する には不利な環境だったかもしれない。「幼い頃からずっと眺めてきた景色」が、この子たちにはないんだなあ。 大人になっていくら引っ越しても自我が揺らぐような感じがないのは、私やダンナが、ふるさとの野山にガッシリ守られたような でもそんなこと言ったら、転勤ばっかりしている親なんてどうなるんだ!そういうは自我しか持ち得ない、なんてことはないだろう。 この4年半で地価はどんどん下し、このマンションの値段も水準に落ち込んだ。古いものを売ろうなんてそんな良いことは ゴールデンウィークに、久し振りに日光へ家族旅行。一回行ってみたかった(一回行けばもう沢山!)東武スクエアワールドへも行った。 予想通りの「キッチュの園」だった。それはそうと、世界遺産というのは、つまり「独裁者の置き土産」っすね。 権力誇示のために後先作らせた建造物の数々。権力者の地位が絶大すぎて、当時は「やりたい放題」をいさめるスベもなかったわけだけど、 同じく「キッチュの園」みたいな日光東照宮。ウン10年前にかの地を初めて訪れた私は「日光のどこが結構なんじゃ!」と仰天(あまりのケバケバしさに!)。 「眠り猫」も「鳴き竜」も「三猿」もずっこけるほど安っぽい。境内ではいかにも栄養状態の良さそうな神主さん(?)やみこさんが、 バスガイドも真っ青でいろいろ説明してくれる。話のおしまいに「皆様のために特別にご用意致しましたお守り・御札はこちら。 本日いらっしゃれなかった方には御土産として・・・」が必ず付け加わるのには笑った。「壮観」なんていう形容詞はどこ探しても見当たらなかった。 8月25日(日)、M中グラウンドにて自治会合同の防災訓練が行われた。朝の8時に招集がかかり、昨夜来「請願書づくり」で忙しい母はブツブツ。 渋る子供達も引き連れての参加となったが、「新N団地自治会」からの参加は一番少なく、「笛ふけど踊らず」の当団地住民の気質を現して興味深かった。 行進して着いた先は、M中グラウンド。消防車に、ものものしいテント、火災実験用の家屋、それに「祝市制施行」の場違いな垂れ幕など、 Sは、煙の充満する部屋をビニールを被って歩く実験で、まずビビってしまい(ビビってこそS)、防災訓練ものに心理的抵抗をあらわにしていた。 父は水酌み訓練の地味さに不満だったようだが、母は飛び入りで油の消化実験に参加してそれなりに興奮。 また「炊き出し班」では、国防婦人会風カッポウギのおばさんたちが必死に作った日の丸弁当を、団地自治会が素早く確保してしまい、 この間学年が変わったと思ったら、もう夏休み。さっさと宿題を済ませて、今年もお気楽に過ごそうねーという基本路線だけは皆で確認した。 5年生の社会科見学での新聞作りが面白かったので、視覚に訴えたグラフ作りにがぜん興味がわいたそうで、今年の夏は姉妹で統計グラフに挑戦するそうである。 例年終業式後に公民館に集合していたT親子読書会も、発展的解消後初の試みとして有志でオートキャンプに行くことになった。子どもたちの喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。 6月17日に授業参観があり、2時間ずつの授業を父と母で分担して見学した(Sの鉄棒を見る勇気が母には欠けていたので 「教科書に書いてあることじゃないことを言おうと思ったら何て言っていいかわからなかった」という率直な答え(それもそうだ)。 11月から県内を移動して展示されるほか、来年2月にはシティで表彰式が行われるとか。なんだか大げさなことになってしまって驚いているT一家。 「設問にもう一工夫欲しかったね。でも、まっ、いいか。早くやっちゃおうぜ」なんて言いながらやっつけ仕事で完成させたグラフなので、 「情報の宝庫」のようなものだと思う。だから「書かなくてもいいものをわざわざ書いて持っていく子の日記」を、そんなに扱ってしまうことが不思議だった。 ノートが返ってこないと、次の日続けて書くことができない。というわけで、ノートを何冊も用意して、前に出したのが返ってこなくても I先生は、家庭学習という形で毎日課題を出さない先生だった。たまに宿題が出ても、「よくできました」の象のはんこがペタッと押してあるだけで、 所詮は「時代に乗り遅れるな」のコマーシャリズムに踊らされて、人々が不必要な出費をられているだけじゃないかという気がしてならない。 パソコンを買い、月々額な電話代を払い、それで何をしているかといえば(うちの子を見る限りでは)、単なる暇潰しじゃないか、と思う。 どんなに通信手段が発達しても、交わされる会話の質が深化するわけではなくて、チャットルームに集う人々がリアルタイムでどんな情報をやりとりしているかと言え 愚にもつかない独自の投げ合い、Eメールなどといっても、火急の用件を抱えた一部の人を除けば、電話や手紙で代用できるようなものばかりではないかと思う。 『ぐりとぐら』でおなじみのお2人が出された小さな楽しいなぞなぞの3冊本。答えを出してじっくり絵をみる。おなじみの登場人物がしてみせてくれるこの絵が楽しい。 テーブル上に、Boxに入ったドライアイスが置いてあって、白煙が出て来たっ・・・!きゃーきゃーとはしゃぎながら。遊園地に行くと、Coinを入れるとMusicが流れて揺れる 乗り物があって、2人でそれに乗って、はしゃいでいた〜♪小学校では、たまに防災訓練が行われて、放送で「火災が発生しました、ただちに校庭に避難して下さい・・・」と流れて来て、ぎゃーっと叫んで、皆で校庭に行って避難していた。校庭or講堂で、ずっと校長が話していたりして、長い話を立って聞かされたりもした・・・。 表面秘密のぺえじ!!!随分としつこい特徴だなー。そうだなー。私達は・・・立体化した名は・・・スーパー・・・ ・・・なかったなお前?スーパースパーマンだ!!!私は・・・お前だってなかったじゃないか。 ボンボンマンだ!!!ボンボンマン!!!ボンボンマンだよー。・・・ところで何やんだ?・・・目が輝いてるぞお前。 ・・・此処ではなんと、まきば小の大大大・・・どうしよう?何が?ぎゃはははは!!!(爆笑)うふふふ・・・何をやんだよー!!! ・・・此処ではなんと、ゆめ学園大大大・・・なんでゆめ学園が出てくんだよー。・・・しらねーよー!!! 小4ではリコーダーを習っていて、袋に入れて持ち歩いて行っていた。大太鼓を叩くのもやりたい!と望した事もあったけど、そこまでするのはやめておいた・・・。 中学生なんて難しい時期だし、それを乗り越える強さがなかったのかなって、親は言ってた。Roomに思い出の「たすき」が飾ってあるのを見ると、選挙活動も落選したけど、本人にとっては良い経験になったのだろうと。立候補した時には、おぉ〜っと 自分以外にも、他にも何人か私立中を受験して、行った人達もいた。O君は、あのままいじめっ子達と共に、公立中へと進学して行った。彼らはどうなってしまったのだろう?と、考えると恐ろしい。同級生だった子達が、いじめで暴れている様子を想像すると、怖くなる。 うちも64〜と、買ってからは毎日うるさいけど、やりたいGameだけやらせている。図書館で上映されたMovieを観に行ったら、(当時はそういう観賞もよくしていたので)N先生も来ていて、会ったのでした。 FriendHouseに遊びに行ったら、お友達が来てるからってみんな紹介してくれた。チャリやローラースケートで走り回って、スポーツ少女なんですね。面白いから読んでみなよっと言われて勧められて、Comicを貸してもらって、持ち帰って読んだりしていた。 全校遠足まず電車に乗りずーっと行きました。そしてやっと着いて虹のハンモックで遊びました。空のすべり台・きりの森・広場・雲の海・トランポリンで遊んだ。 川の方も行ったので、とても楽しかった。市内音楽会いよいよステージに来ました。『鳥になる』では、Tさんがピアノを弾いた。運動会で取り合う競争をしました、あれは 楽しかったです。N市民会館でやりました。私達の番が来ました。テストより緊張しました。アルトとソプラノに分けました。私はソプラノを歌いました。 「あーいよいよ発表かーどきどきするーもしかして間違えたらどーしよー」と思いました。N園に行きました。お年寄りの人達が来ました。会館の座る所に入ってみると、 とても広かったです。と同時に取り組んできた『私のあゆみ』なんか作るのがすっごくおもしろかったです。自分でも「私ってこんな事あったっけ?」とか思い出しながら、 取り組んできました。Photo貼るのとか、絵を描くのとか、わくわくしました。最後に表紙を描き終わって出したら、というわけで出来上がりました。沢山の拍手が聞こえました。 「音楽会凄く良かったよ」と言ってくれました。それに良い経験をしたと思いました。私はバスに乗って、社会科見学に行きました。先生の話を聞いて、出発です。 出発して色々な事があり、時間になったので集まる場所に行きました。そして帰りのバスで私は、クタクタに疲れていました。次にやった新聞はまた、N用水を調べました。 団地にFrindが沢山遊びに来た。皆でおやつを食べたりラムネを食べたりして、はしゃいでいてとっても楽しく過ごしました。そして皆で集合しているPhotoを撮ったりもした。 将来は、漫画家になれたらいいな!Sちゃんならきっとなれると思うよ!ニョロニョロが登場すると、いつも「うけるよね!」と言って、皆にBookを見せて回るのです。 Moomin旅行にも、行けたらいいね!でも中学ってまともに通ったのって1年時だけで、他はほとんど休みだったんでしょ・・・。相手は芸能人じゃないんだからね、そんなストーカーみたいな事するのやめなよと言われたりもした。修学旅行では、山道をずっとハイキングみたいに歩いて行って、いろんな名所を見学して回って、ホテルに泊まった。 川が流れているForestにも行った。でもSchool人達全員に、Letterを送って説明するなんて、やめた方がいいと思うよ;まねしてた事知らないからじゃない? あーそれで勘違いされちゃってるんだ?それはあるかもなぁ。なんでまねしてたんだよ、憧れてたのか?中学にはそんなに良い思い出はないそうで、思い出したくもないんだそうです。もう中学の事を言うのはやめてほしいそうです。Animalsがみんなで冒険したりするStoryも、すっごくわくわくして楽しかったね〜♪