たけのこ通信・のびどめ通信・およよ本舗 ほとんどはボツになったデータだけど;発掘したデータだけいちおーうpしときますねっ 5月14日、小学校の家庭訪問があった。今の所、親から見て大きな心配事もなく小学校に通っているSだが、先生も「1年生時代は楽しく学校に通える事が大切」とおっしゃった。 S達の1年4組は、特にハメを外すタイプの子もおらず、「とても最初からやりやすい反面、気のないのが物足りない気がする」との事。 まさしくS等はそういうタイプかもしれぬ。先生が今年の図書委員である事も偶然に知り、学校図書館についてのお話等少しする。 1才のお子さんを保育園に預けながら仕事をしておられるのは大変だろうな、と思う。「おいしそう」と言いながらケーキをパクパク食べておられる様子が印象的だった。 26日Sさんのお誘いで、川越の「むつき文庫」(Kさんという主婦が自宅で開いている家庭文庫)に、S・Yと共にお邪魔した。 日はお話会でパネルシアターストーリーテリング等趣向をこらした出し物が続き、たった30分とは思えない程充実した内容だった。 今年度はバタバタと忙しくて親子読書会を開催できなかったけど、来年度は何とか月1回の割合で、お話会を開きたい。子供の読書環境は親が切り開いていくしかない (学校図書館も学級文庫も機能せず、教師もいない今)という当たり前の事を実感している今日この頃である。 3月10日(火)学年最後の授業参観があった。(授業参観だけはやる南小)グループ毎に学習発表会をやるという趣向で、Sの班は紙芝居「ぼくにげちゃうよ」を披露。 1年生にありがちなハメを外す子もおらず、どの班の子も健気になかなかのものを見せてくれ「粒揃いの1年4組」の面白であった。某クラスで「担任の持ち上がり反対」運動が 起きつつある事を思えば、4組は表立った問題もなく平穏無事なクラスだったというべきだろう。(Sの話では、底意地の悪い子は結構いるらしいが、皆ハメを外さぬ程度に利口 ついこの間「あいうえお」の練習をしていたと思ったら、近頃は生意気にも、長文読解の試験問題なんて、学校から持って帰るようになったS。本をよく読む子だから、何とか解ける ようなもので、本を読まないでできていたら、ギブアップだったろう。読書力は、塾に通ったからといってどうなるものでもない。夏休みの読書感想文だって、家庭で読書指導している 事もしくはある程度の読解力が身についている事を前提にしている。本を読ませる努力をしてこなかった親は此処に至ってするというわけだ。成績がどうのというより目先の事より 本と共に一生を送って欲しいと切実に願う母。狭い世界で自足するようなおぞましい人間にはなるなよ。子供にばっかり望みするのはフェアーじゃないから、まだまだ頑張るよ。 大きな買い物が続いて生活のグレードがワンランクアップしたなあ、としみじみ実感。元々物欲のあまりない母はマジで「もう死ぬまで買う物ない」なんて感じにとらわれている。 近年「ためる価値のある物は教養だけ」だと思いながら暮らしてきた。しない程度に身綺麗に暮らしていけば借家だっていいし、モノを買うのを目的に働くのは時間がもったいないと 思ってきた。好きな事しかしない人間がモノ(持ち家を含めて)ぐらい我慢するのは当然だと思ってきたから、此処に至ってちょっと心理的バランスが崩れているわけだ。 きっと私はお金の事心配しなくていいように生まれついているんだわ!と強気に解釈して、子供達にはやっぱり「ためる価値のあるのは教養だけ」だと教えていくぞ。 ?母親に言われなくても自発的に勉強するようになった?机や部屋の整理整頓ができるようになった?論理的な思考が身についてきた?文章表現力が巧みになってきた等、親の目から 見てもこの頃のSはものがあったけれど、本人の努力を証明するかのように、1学期の成績もとても立派だったのである。「成績の良し悪し」にこだわる 子供時代はつまらないけれど、自分を判定する客観的な基準として成績は大切なものだし、真面目に努力し達成感を味わう事を覚えた事は、この時期のSにとって大きな意味が あっただろう。母親に似て(?)他人の正邪に敏感な子なので、周囲との葛藤が多い青春になるかもしれないけれど、動植物や弱いものに共感しずるさや暴力を憎む感性はこの子の 宝だから、励ましてやりたいものである。頑張り屋のYも本人が宣言した通り完璧な成績で1学期を修了した。母親が声かけしなくても宿題や翌日の準備ができる所は立派。 12月になってから、各地で子供(殆どは中学生)の「いじめを苦にした自殺」が相次いだ。先日末「殺人事件」一色だったTVワイドショーが、一斉に「いじめ」を追いかけ始め TV嫌いの母も何度かチャンネルを合わせた(芸能リポーターやタレント評論家が思いつきで見当違いなコメントを吐き散らすような番組ばかり)TVが大衆文化をするような国にも 未来はないなあと感じた。「いじめぐらいで死ぬな」という印象的な文章を数年前に読んだ事を記憶している。人間の本性の薄さを洞察しそれでもなお励ますいい文章だった。 こういう非常時には、雑魚のようなタレント評論家ではなく、言論人に感を振り切って発言して欲しい(彼らの発言の真意を汲み取るだけの知性を国民に期待できないという現実も あるが)「自分がされたくない事を人にするな」という当たり前の事を幼児期に学ばなかった恐るべき子供達が、学齢期に達しやがて中学生にもなる。欲望を抑制できない 「甘やかされた暴君」みたいなティーンエイジャーを、数十人単位で預かる教師に、責任を押し付ける親達の無恥ぶりがいたたまれない(世の中に優秀な会社員と無能な会社員が いるように、力量のある教師とそうでない教師も当然いる)「いじめっ子」を自分の家庭から出した時点で、親の資格を奪われても文句は言えない。正義のない社会に住みたい 人間は誰もいない。かくなる上は親に代わって社会が当人に「罪と罰」の応報を教え込むしかない。一般論はともかくとして、公立中学が現実に「檻のない動物園」みたいな状態 なのだとしたら、我が子に降りかかる災は避けねばならない。受験勉強に一元化されるような中学・高校生活は「マンガ家か作家になりたい」Sには時間の無駄かもしれない。 Sは集団ヒステリーに陥ったような現代っ子達との共同生活に耐えるだけの持っていそうに見えない。理科系の学問はともかく、文科系の学問は自分で本を読む事でしか身につかない。 浅い知識の詰め込みに明け暮れる受験勉強でエネルギーを消耗する事もないだろうなんて風にも母は思うのである。 鶴ヶ島の友人であるTさん(息子はSの幼馴染)と川越で1年振りに再会した。Tさんは水産庁の調査船で南氷洋に出掛け、半年の航海を終えて先日帰国したばかり。 平凡な主婦(でもないか)であった。彼女が20年来の夢を実現させるに至った経過や家族の協力、お子さん達の成長ぶりについて話が聞けて、面白かった。 母親と「個としての自己実現」が同一のものであったり両立できれば問題はないけれどどちらを断念しても無理がある。どちらも手放さずにバランスのとれた人生が送れればいいなあ。 筆記試験だけで合否判定されるわけではなさそうだけど、実際問題どのくらい勉強しなければ合格ラインに達しないのか見当がつかない。それに加えて、マンガだけ描いていたような Sには「寸暇を惜しんで勉強しなければならない」と納得させるのは1日に1度は「やっぱりやめようか」という話になる。それでも一緒に算数やり始めてからの 成績はめざましいもので、していた100点のテスト(算数)に先日再会。あのまま放っておいたらになっていたなあ。にならなかっただけでも よかった。なんて下ろした。『新座おやこ劇場』の広報まで引き受けてしまって、お役目は増えるばかり。何処に顔出してもなかなかいいメンバーが揃っていて楽しみ。 Kおじさんの新しいガラス工房の火入れ式パーティがあったので、17日に家族で出掛けた。以前鉄網所であった場所を借りて改装し、工房+教室としてスタートさせるのだとか。 改装には一級建設士である富山のおじーちゃんが10日も前から泊まり込んで、準備に当たり、つまりゲージュツ家(作品作る事以外には意欲・能力がなく、周囲を見ちゃいられない という気持ちにさせる)をお節介な親族が支えてのスタートだった由。約70名の関係者が集まり、入口には芸術員会員からの花が飾られ、神主さんのお祓いなんかもあって 結構本格的だった。(おばーちゃんはよくぞここまできたなんてウルウル感激していたけれど、従姉妹のAちゃん家へ遊びに行った子供達がなかなか帰って来なくて、母は時間潰す のが大変だった。ガラス工芸関係者というのは、浮き世離れしたタイプが多いなあという印象) いたたまれない思いで義務感だけで座っていた、Sの卒業式・謝恩会の事を思い出していると、隣に座っていた男の子のお母さんに「上の子の時と全然違いますね」と声をかけられた。 していたけれど、お兄ちゃんはSと同じクラスだったのだそう。「先生の事は今でも許せない」「問題を起こした子が多かった」という話を聞いて、自分と同じ気持ちで 座っている人が隣にいるという事に驚いた(自分は被害妄想に囚われているのかもしれないと思ってもいたから、そういう話を人とした事は今まで無かった) 「マンションの狭さに気が狂いそうだ」なんて事を私が言うと、Yが早速室内改造計画を立てて家具の買い替えによってどんなに室内をすっきりさせられるか・・・と力説する。 リビングの本箱を扉付きの物に変えれば随分すっきりする(私はいくら本が飛び出していようがそれを汚いとは感じないけれど、それが問題だそうで) と説得されて、試しに扉のある書棚を購入。今までリビングにあった安物の書棚は和室に運んで、自分の本を整理したら、確かにスッキリした。次は台所だ。というわけで、 台所中の大物を一挙に収納できるという棚を注文。・・・とまあ、そこまでは良いでしょう。最大の問題は、リビングのテーブルなんだそうだ。 通販のカタログで一目惚れしたという「収納庫付きダイニングセット」(ベンチ式の椅子とテーブルの下が物入れになっているやつ)に替えれば、辺に散らばっている 雑多な物を隠せて綺麗な部屋になる・・・と、しつこく言う。そんな事言ったって、今あるテーブルはどうするんだ!大きさに惚れ込んで、大札はたいて買ったテーブルは、 作りがガッシリしているから、何年だって。使える物を何枚処分しなくてはならないんだ・・・という所で物別れとなり、順調に進んできた改造計画もストップ。 もうちょっとで綺麗になるのに・・・と、Yは大いに不満そうだ。包装紙や空き箱まで溜め込んでしまう親達に比べると、我々の世代は随分思い切りよくいろんな物を処分できる ようになった。更に次の世代となると、好みに合わないものに身の回りに置かない為に、出費もしないという、辺の感覚が一歩進んでいる。 家を買う事に比べれば大した出費ではないという強引な説得に、あやうく頷いてしまいそうになる私。 乱暴者で一時はどうなる事かと思った猫のチーコは、少し分別がついてきた。私が家にいる限り脇にはりついていて(盲導犬みたいに!)炊事をしていても顔を洗っていても、 横で猫が凝視しているおかしさ。何で私はこんなに猫に好かれるのかなあと思いつつも、まんざらでもない。責任を持って一生ちゃんと飼ってやらなくては。 というわけで2000年の第1号を作成。順調に進めば今年の春にSは高校生、Yは中学生になる筈なんだけど、高校進学については今の時点では検討課題に上がっていない。 少子化と不登校・高校中退の増加という現実に対応する形で、学校制度もこれからかなり変わっていくような気がする。選択肢が限られていた我々の時代と違って、何度コケても 敗者復活のチャンスが用意されているような「やさしい」教育制度に変わらざるを得ないという事だろう。ただしどんな社会になっても「変わりたい、ここでフンバルぞ」という 本人の意思と覚悟がなければ、周囲が何を用意してもダメだという事。これだけは分かって欲しい。本人から「こうしたい」というアクションがあるまで親は動かない。 指示しないという事にした。公立中が荒れていると聞けば「お金払っても安全な所へ」となるのが親心。私も数年前そういう事を。不憫で傲慢な発想だったと思う。 結果的に公立の先生方の力量や情熱を信頼していなかったという事になるのだから。でも凄く期待して入った学園にはうちの娘のような子に感化力を持つような 教師はいなかった。下品な人もいなかったけれど、情熱が服を着たような人もいなかった。金八先生は地元にこそいたのかもしれないと後悔した。 長らくご無沙汰していた学園の父母会に、先日出席してきた。直前に先生(一番偉いシスターみたいな迫力のある先生。個人的には嫌いじゃないし、仰ぎ見るような感じがある。 でも子供がこうなってしまうといかにも眩し過ぎる)から「父母会に出席するのは父母の義務であり権利ですから」と電話を頂いて、もう逃げられなくなった。 出席すればどういう展開になるか、予想はついていて、まさしく予想通りの展開になった。「真面目が崩壊」している世の中にあって、「真面目である事」を愚直な までに追求していこうという先生方や父母の意に「酔い」したような気分になり、クラス懇談会で子供の状況や親としての心情を披露しているうちに、やっぱり「情けない、 寂しい、悲しい」という感情の波に襲われて、涙が止まらなくなった。後日個人的に手紙まで頂いた事も、いたたまれなさに油を注ぐ結果にしかならないだろう・・・という事も、 出掛ける前の予想通りだった。自分の子供に合っているかいないかは別として、学園は良い学校だと思う。地方から出て来て寮生活をしている子供達と始めとして、 地道に物事に取り込んでいる子供達の伸び方は目を見張るものがある。何も吸収しようとせず降りてしまった子供を持つ私には、何を言う資格もないけれど。 書道の昇段試験とやらに必要な講習会とやらを受講する為に、母が単独で上京。父母にはこれまでSの事は一切話していなかったから、学校に行っていないのをいきなり見たら ビックリするだろうな。今回はきちんと話した方がいいのだろうな・・・という辺りで、今回は常にはない緊張感があった。父母に話せなかったのは何故だろう、とに・・・ 子供や孫達はまあ何とか上手くやっていくだろうと安心している老人の「予定調和」を乱すのがしのびないという辺りが月並みだけど、子供は親の前では「元気にやっているよ」と 強がっていたい。心配や迷惑かけずに自分の事は自分で解決して何にもなかったような涼しい顔をしていたい・・・というのは、子供の頃からの私の見栄でありプライドであり ツッパリであるから、そういうものが此処に来て崩れてしまったら、自分の事を人に相談したり弱音吐いたりできないのは・・・まあ今に始まった事ではないのだと思う。 ガタガタ騒いでも事態は変わらない。だったら他人(と言うと水臭いかもしれないけど)を巻き込む事はない。何年か経って本人が落ち着いて違った展開が見えて来た時「実は あの時うちは大変だったんだ」という思い出話としてと流せればよし。何も話さずに済めばそれ以上の親孝行はないではないか・・・と、こんな風に自分を納得させていた。 でもそれはきっと綺麗事で、実は母にされるのが嫌だったのではないかとも思う。自分が叱られたくない為に、人の知恵を借りて物事が少しでも良い方向に進む可能性を放棄して いるのではないかという気もする。結局時間切れみたいな形で(学校に行くのなら起きて来なければいけない時間にSが起きて来ないので)「実は学校の方は・・・」という ような話をする事になった。母の反応は結構平静で、正直な所へえーっと力が抜けたのだけれど、現実的にればそれこそ本人にとってはだろうな。 お正月だもんね、あんまり景気の悪い事は書きたくない。昨年1年間、この欄には気の滅入るような事ばかり書いてきた。子供の人生と親の人生は別物なのだから、これからは 自分の事を主にていこうと去年は思った。自分のリアクションが恐らくは最悪のリアクションで、「反応的」と呼ばれる行動パターンにはまり込んでいると 意思で自分自身を変えていかないと、結局子供自身も変わる切欠を掴めないのではないかという事も痛感した。でも親が心の中でどう解釈しどう折り合いをつけようとも、 親子の関係は悪くなる一方で、現実のSは、典型的な「不登校」の症状を示すようになってしまった。責任転嫁傾向が強く被害者意識が強い所も、私から見ればちょっと嫌悪感で 身震いしつつ、子供を嫌悪する自分にはやっぱりと感じたりした。以上が昨年1年の総括。今年は「反応的」な行動パターンを改める事、現在の子供の姿は楽観主義を持つ事を 自分に嫁してみたいと思う。気長に何かを待つという事を、私はこれまでの人生でしないで来てしまった。特に育児において、子供が自分の力で何かを獲得し開花していく事を 信じて待つ事ができない母親だった。だからこそ本人の意思なんか無視して早め早めによかれと思うものを与えてきた。「育児には失敗が許されない」という気負いが、裏目に出て しまったような気がする。我が子を自分の延長線上にしか捉えていなかったのだから、子供の人生を私物化した、とそしられても仕方がないだろう。まあ色々な事を貴重な1年 5年連用日記もいよいよ4年目に突入。今日の事を見越してつけ始めたわけではないのだけれど、最初の年の日記を読むと「わあこんなだったんだ、こんなに仲が良かったんだ」 なんてビックリする、また何年か経って「あの頃はかったねえ」なんて事になればいいのだけれど、このまま親にしていても社会性を獲得する事はできないだろう。 本人が「このままじゃ嫌だ」と思うまでには、まだまだ時間がかかりそうだし元々親から見て、学校のような集団生活には不向きな要素の多い心配な娘でしたが、小学校最後の2年間 というものは、何が起きても先生がガシッと守ってくださる、理屈に合わない事が見逃される事はないという、基本的な信頼感のあった昨年のクラスとは好対照な、何が起きてもまず 先生はあてになりそうにない、だから親がしっかりするしかないという、覚悟を強いられるような毎日でした。それでも6年生の後半を除けば、娘なりにまずまず元気に過ごして まあまあ仲の良い友達もいましたし(6年生の後半にはどの子も嫌いになってしまって孤立していましたが)内気な子なのに児童会の役員に立候補したり、新聞や年表を作るのが好きで そういう課題が出た時には丁寧に取り組んでいました。友達とのトラブルが増え始めた頃は、完全に先生に対しても信頼を失っていましたので、学校に通う事自体がとても 体操会が近くなるとまたセッセと学校に通い始めた(何を隠そう、学園の体操会だけは好きなのだそうだ。運動会じゃなく体操会であるのがあの学校の面白い所) これをに立ち直るかもという親の甘い見通しはまさに「甘い見通し」だったわけで「今年の体操会は最後の体操会だな、来年はもういないから」なんて意外な事言っているのを 聞くと、この子はもう学園に未練はないのかなと思う。小さい頃は自分の意見をはっきり打ち出さない子だった(本人は何が何だかわからないまま流されていたみたい)けれど 心理学者やカウンセラーだったら「今までの生き方を否定する時期なんです、まともに育っている証拠です。これ以上何を望むんですか」なんて無責任な事言いそうだ。 好きな事だけやって生きていける程世の中甘くはないし、かといって我々は義務感だけでいろんな事やっているわけでもない。我慢する所と自分を押し通す所のバランスが 上手く取れる子だったらいいんだけど「学校に復帰さえすれば周りの感化力でどうにかなるのではないか」という望みが捨て切れなかった から、ずっと「学校」にこだわってきたけれど、学園に戻る事があまり「現実的な事」ではなく感じられるようになってきている今日この頃。「笑っちゃうくらいあそこに向かない子」 だと思わざるを得ないからだ。(学園のSはかつてのガールスカウトのSだ。向かない事が入学前から分かっていたのに突っ込んでしまった・・・という辺りが事の真相か) 1年生のおしまい頃から、夜更かしした翌朝起きられなかったりすると「体調が悪い」なんて言ってサッサと自主休校してしまうようになった 「2年生になったら気持ちを入れ替える」なんて調子のいい事言ってたけれど、案の定2年生になったらもっと休みが増えた。学園生に相応しい立派な子に・・・なんていう親の 理想はとうにどっかへ吹っ飛んでしまって、「何とか中学3年まで持てば」と思っていたけれど、それも状況になってきた。やっぱりSという子は最後はこういう所まで いかないとおさまりがつかないんだろうか。恐れていた事態がいよいよ到来して、やっぱしねえ、という妙な「納得感」がある。(意外な感じは驚く程ない) 仕事からの帰り道、夕迫る空を眺めながら歩いていたら「ああ宇宙は広いし人生は長い。あの子を学校からもう解放してやろうか」という気持ちが心の底から湧き上がってきた。 「嫌がる子を此処まで引っ張って来たけれど、この子の学校嫌いはどうしようもなかった」なんて此処に来るまでこちらの気持ちも乱れたけれど、親の力でどうにかなるという段階は 通り過ぎてしまって、なしくずし的に現状をするしかない所まで来ている。親がどんなにしようともガンとして変わらないもの、それこそがこの子の「個性」なんだろう 「今のお前じゃダメなんだ」と言われ続ける子は、ますますダメになるばかり。実際問題この1年を振り返ってみると、このまま行くと一体どうなってしまうのか、恐ろしく この1年親子の会話がSの小学校時代の事に及びそうになると、Sは大概「そんな事!」と不愉快な顔をした。触れたくもないという様子を見る度に 親が想像しなかった以上に子供が深刻だった事を思い知り、それでもそろそろ気持ちを立て直してもいいんじゃないというもどかしさと。こちらの気持ちも乱れた中でも1番心配 だったのは、前向きのエネルギーがしたかのように、食べて寝るだけの日々が続いた事(元々打てば響くような子じゃないけれど、好きな事にはとことんする子だったのに 殆ど何も手につかず状態になってしまった)受験勉強ないような学園生活の中で、おおらかな気持ちで芸術や文芸に対する理想的な環境を持て、本人もどんなにか張り切って いる事だろうなんていう親の希望的観測がどれほど現状から・・・思い余って「退学も覚悟しておいた方がいいかもしれない」なんて言葉を交わす日々だった。 Sもまたある期間の記憶をに、持てるエネルギーを注ぎ込んでしまった結果、余分な力がなくなったような月日を過ごしているのかもしれない 「反抗期」等という言葉でするには抵抗があるのだけれど、腹を立てたSが「親が悪いから」等という言葉を時には虚脱感があった。言うに事欠いて行き着く所まで行き着いた という感があった。そういう言葉を吐くに至った、我が子の品性のなさが悲しかった。「短期間にどうしてこんなに悪くなったんだろう」これはSを見ながらこの1年間ずっと 心の中でしてきた事。「悪い」というのは私の主観で、「何処も悪くない」と本人は言うけれど、親子の間で穏やかな会話が成り立たなくなった事、一緒にいる事を楽しいと 感じなくなった事、責任転嫁の傾向が強くなった事、これらは事実。一時は「勉強をしない・手伝いをしない」事を受け入れる事ができなくて苦しんだけれど、習慣の力とは恐ろしい もので、そういう部分に対するこだわりは日々薄れつつある(期待しなければ腹も立たないというわけで。でも時々こんな子にする為に学園へ入れたのだろうか等と思い始めると いたたまれなくなる)ああいう2年間でさえなかったら、Sは此処まで悪くならずに済んだのではないかという思いを強くする瞬間があるからだ。先生はまさしく「ヘンな人」 学園にはいわゆる定期考査がない。定期考査がないと一夜漬けで勉強してでも順位を上げたい的な感はやっぱりなくなる。中学生なのにこんなに勉強しなくていいんだろうか? なんて見ているこっちはな気持ち。点数評価に一喜一憂するのではなく、全人的な教育、幅広い教養を・・・なんていう理念はご立派だけど、何の為にこんな無意味な勉強を という中で自分を見つめる所もあるのになあと思う。定期考査どころか学園は徹底的に「我が道を行く」学校なんだし、親も覚悟して入れたわけだし、とりあえず高校入試はない あの時の私はした思いに取り付かれていた。Sと同じクラスの子供達を全く信頼していなかったから、同じ中学に入れるのは猛獣の檻の中に我が子を送り込むようなものだと 思っていた。特に悪質な子供が集まっていたなんて、大袈裟な事を言うつもりはない。下らない教師に受け持たれた2年間に、下らない集団(友達を仲間外れにしたりいじめたり する事で得る)の中で自足する事を覚えてしまった子供達が立ち直るまでに、それ相応の時間を要するだろう。それまで待てるかというと、待つ自信がなかったわけだ。 であれば、とりあえずより安全と思われる道を選択するのが賢明なのではないかと、此処までは合理的な判断だったのではないかと思う。今にして思えば、当時の私は被害者意識が お茶を買って飲んだけど、ちょっと不味かった…。ゲーム屋さんに行くと、たまごっちのグッズが沢山売っていて、腕時計も売っていたので、欲しくなった。 磯へ行って、水の生物を観察した行事もあった。まきば小のみんなは、親がいなくて孤児。引き取られたという設定だった。なっとは家に帰って、家族と再会する。 電池を入れるとワンワンとほえるDogぬいぐるみがいた。委員ができないというのであれば、仕方ないので次の人に回します。まぐまぐ(メルマガ)に登録すると、メールソフトに いろんなMailが届くよーになって、読んでいるだけでも楽しかった!Pokemonを虐待するサイトもあったりしたし、チェンメで怖いのが送られて来た事もあった; Comicを×10冊くらい、大量にまとめ買いして、Houseに持ち帰って読んだりしていた。Friendから、お勧めComicがあるよ!と色々と沢山紹介されたりして、それも読んだりしていた 仲の良い友(らきりんとか)に相談してみては?当時ポケモンカードにハマっていたというRは、Letterに入れて自分にも送ってくれたりした。MはTDLに行ったお土産に、Boxに入った 音楽の授業ではピアニカをやってた。他は合唱(ソプラノパート)もよくやった。ポケモン赤のソフトを買ってからハマってしまって、よくやっていた。 たまごっちもGBソフトでやった事があった。のびどめ通信をコンビニにコピーしに持って行って、沢山印刷して作って、完成したらみんなに配れるからと、すっごい嬉しかった! ポシェットとかいう小さいComicを買った。よく似たよーな学園モノが載ってた。ポケモンの本も沢山売っていたから、4コマ劇場、図鑑等と色々買った。 TDLにも行って、ドールや缶クッキーお土産を沢山買った。ミニサイズのラジカセも2000yenくらいで売っていたのでGet!ミニラジカセは、持ち運んで旅行にも持って行った。 当時流行っていた、ローラー付きの練り消しゴム・キャップ等が欲しくて店に行ってGet!ぷくぷくシール・透明シール・サンリオのシール等も集めて、貼ったりしていた 中学では教科書を沢山買わされたけど、勉強はほとんどしてなかった。放課後はいつも「いちごはうす」っていうファンシーショップに行って、Shoppingを楽しんだりしていた かなり不良だったwキャラクターグッズ等が、凄く沢山売っていたので、見ているだけでもわくわくしたし!パンシェルというキャラも流行っていて、ペンケース&シャーペン等を 特打っていうタイピングソフトにハマって、それで上達したりもした。T県に行ったら、Comicを沢山買ってもらって読んだ。Birdのイラスト金チャームが付いたキーホルダーも購入 PinkFlowerサイン帳があったから、まきば小みんなのプロフィールを書いた。交換日記をやろう!って、交換ノートまでみんな用意してくれて。修学旅行に行って、いろんな名所を見学 面接の練習までして、J学園の受験に行って、全日程をこなして帰宅した。家が留守で入れなかった時は、他の人の家に入れてもらって、食事まで出してもらった。 なわとびカードに記録をつけていて、それにチャレンジして、休み時間はいつもなわとび練習を校庭でやったりしていた。ローラースケートを買ってもらったら、それがブームになって マンション→学園まではかなり距離があって、バスに乗って30分→そっからまた電車に乗って→徒歩という、毎日ハードだった・・・。小学校はすぐ近くにあって、歩いて5分くらい ミスターフレンドリーというキャラ水色リュックを買って、外出時にはいつも(Yはオレンジ色だった)ボンボン&コロコロは、男向けだったけど面白かったから、買って読んでいた。小学〇年生も、ずっと購読していた雑誌だった。(図書館に行くと沢山置いてあった)子供にとっては漫画っていうのは人気があるらしく、図書館ではいつもみんな楽しそうに読んでいる。本屋に行ったけど、そんなに欲しいのがなくてちょっと困ったりもした。なっと&なっこSmileほんわかしているイラスト 野原でしゃぼん玉を吹いているなっとのイラスト Rに、さぱりコースト誘われて、待ち合わせて会った。相手はアバターライオンで、自分はひよこだった。夕日が見える海辺の丘で、Chatをした。原人というキャラが冒険するゲーム N先生が長期間休みになってからは、代わりの先生が来たりもしていた。Dogぬいぐるみ(柴犬)を、Presentされて貰った事もあった。Yから誘いを受けて、RPGゲームを一緒にPlayしたりもしていた。チョコボが草原を走り回っていた。ノートPCには、ぷよぷよ・マインスイーバ等ゲームがインストールされていたので、たまにやったりしていた。 幼い頃には、PCゲームが沢山家にあって、それをたまにPlayしたりしていたんだけど、いろんなとこを冒険する、風船割りをする、ドンキーコングみたいなミニゲームも沢山収録されていて、ゲームにハマるきっかけになった。それからFC→SFCと、進んでいったよーなイメージ・・・。 乗り越える強さがなかったのかなって言ってたけど、でも相手はまだ子供だもん、乗り越える強さを要求しちゃかわいそうでしょ。夏休みには、ワゴン車に乗って旅をしたのが楽しかった。うさぎを飼ってたので、一緒に連れてった。 運動会シーズンも、同じく毎日練習をしてダンスをやったりして楽しかった。発表会では、グループで『ひさの星』朗読をやった。MiniサイズのPink色文庫Bookいつも借りて行って、まきば小を録音する時に、ネタにする内容として使った。なんとドラマで使える効果音が収録されているCDを!キーボードでは、いろんなMusicが流れるからすっごい楽し〜♪ 海水浴に行って、ビート板で泳いだりしていた。図書館では紙芝居貸出もやってたので、それをレンタルして行って、Houseに持ち帰って読んだりもしてた。マリカーでは対戦をして、走り回って風船割りゲームをしたりしたのが、すっごくおもしろかったね!キャラはノコノコを使ったりもしていた。 ワギャンパラダイスはとってもファンタジックワールドで、いろんなミニゲームも収録されていて、Playしていて楽しかったし!ツインビーも誘われて一緒にPlayした事があったけど、おもしろかったね〜テトリスも当時は流行ったゲームだったけど、上手い人達もいたけど自分はそんなに好きなゲームではなかった; ボンバーマンも対戦をしたのが楽しかったし、爆弾を置いてどんどんやっつけてくゲーム!ボンバーマンは4コマComicとしても発売された。 セサミプレイスに行ったら、ぬいぐるみが沢山あって、ボールプールやハンモックで遊んだり、ショーを観たりした。セサミCDが家にあったんだけど、まきば小ソングとして収録する時に使われたりもしていた。 読書会で使ったパネル、まだ家にあったりする?もしまだあったら、使いたいから送って欲しいな☆読書会では、皆でCookingをしたり、朗読をしたり、クリスマス会をやったりした。 ショップに行って、LoveryAnimalsぬいぐるみが売ってたりすると、ミニサイズマスコットや、それをねだって買ってもらって、連れて帰ってまきば小の仲間にさせたりもしていた。GBで星のカービィ2というゲームを、借りてPlayした事もあったけど、すっごいおもしろかったね!いちおー全クリしたけど、キャラが沢山登場した♪ 誘われて一緒にPlayしていたゲームで、地下を冒険して敵と戦ったりする、すっごく怖いのをやっていた事もあった・・・。バドミントンクラブに入っていたので、放課後はたまに体育館に行って、打ち合いをしたりもしていた。MickyMouseが冒険してジャングルを進んでいくよーなゲームも、Playしている人達がいた。 駅で待ってるからおいでよーと誘われて、駅に行ってネットで知り合った人と会ったりもしていた。家庭訪問では、いつもRoomを片付けてケーキを用意して、先生が来ると、遂に来た!って騒いだりしていた。沢山の図書館や学校等を、見学してレポートして回りました。卒業してからも在校生のみんなには、この学校の伝統を受け継いでいって欲しい。 TDLで買った風船は、電車中でBan!!!と割れてしまったんだそう。なっとの妹達 なっえ なっお なっみetc...沢山いる。なっぱというBoyひよこが登場した! でも全員がみんな良い人ってわけじゃなかったし、中には意地悪な人達もいたけど。陰でくすくす笑ったりして来る人達もいた。最初に登場したプリクラ「プリント倶楽部」は、流行ったね!キャラクターが登場して。フレームも沢山あって、選ぶだけでも楽しい気分になれるし! プリクラが登場したら、300円貰ってねだってやりたい!って、記念に撮ったら本当にプリントされて、シールになった!プリクラ一緒に撮りに行こーよ!って同級生に誘われて、ゲーセンまで2人で撮りに行ったりもしてた。冬になるとスキー教室にも誘われて、行ったりしていた。スキーを練習してやったら、上達して滑れるよーになった Photo撮ったら紙に印刷されて出て来て、手帳に挟んでおけるってやつもあった。幕張メッセで開催されたゲームショーに、ネットで知り合った3人と、一緒に行って来た。遠い地方からわざわざ泊まりがけで来たんだというR!ピカチュウげんきでちゅうというゲームも、Playした事はなかったけど当時流行った、紹介されて展示されていた。 体育着が入った袋を放り投げたら、それが飛んでってマンション↑屋上まで行ってしまって、他の人に取りに行ってもらった。公立中はいじめで荒れていて、凄い事になってるんだそう。変な人達だねーキチガイ同士気が合うんじゃない?ストーカーじゃんと言ったりして、悪口を言っていた事もあったりした。 RPGツクールで、ギャグっぽいキャラが登場するGameをYが作ったので、ちょーうけるwとか言いながら、わいわいとPlayしていた。Boxにラムネがついて、当時とても流行ったす〜ぱ〜ぷよぷよマスコットが入っているのを、たまに買って集めていた。Friendも同じのを買って集めていて、Bathに浮かべて水死体ごっこをしているんだとか 団地にはCatが住んでいたので、たまに会いに行って、餌をあげたりしていた。でも連れて帰るまではできなかった。図書館&小学校等でも、たまにMovieが上映されたりして、観に来ている人達も沢山いたので、たまに行って観賞したりしていた。付録もついてくるし、どーしても欲しい!ってねだって説得して、小学〇年生(Comic)買ってもらった。 中学でも、毎週習字を書いて提出するという課題もあった。夏休みになると、自由研究・読書感想文・絵日記etc...と、宿題が沢山出されて大変だったけど、それなりにやりこなしていった。大冒険する絵本というのを、作って完成させた事もあった。チョコベビーをたまに買って食べていて、Shopに行くと、お菓子が沢山売ってるコーナーを巡るのも楽しくて 絵具で風景をスケッチして描いたりするのもたまにやっていて、それでも入選して賞状を貰ったりした事もあった。皆の作文等を、集めて掲載しているBookが発行されて、それにも応募したら、載った事があった。気が合わなかったりして、たまにはクラスに馴染めない事もあったけど、それでも今みたいなひどいいじめというのはなかった。 放課後に残って、調理室で洗いや掃除etc...を、30分くらいずっと皆でやっていた事もあった。プール授業もあったけど、自分には不向きで、そんなに好きじゃなかったから、なるべく行かないよーにしていた;卒業式ビデオを受け取りに、PM〜小学校に行ったら、きゃーきゃーとうるさく騒いでいる子達がいて、嫌な気分になったりもした。 TVでドミノ倒しをやっていて、おもしろかった。大みそかには、こたつで皆で朝までずっとTVを観たりしていて、すっごく楽しかったね〜♪トランプをやったりもしてた。クリスマスシーズンにも、いろんな所でクリスマス会が行われたりして、それにもたまに行ったりとかしてた。他にも来てる人達が沢山いて、自分の事も紹介されたりとかした。 いろんなアニメ番組や、ビデオに録画したのを、棚に沢山入れていて、たまに観たりとかしてた。イラついてペンで、「ムカツク」とか机に書いたりもしていた事もあった・・・。 放課後には、いろんなShop・デパート巡り・BookStoreに行って30分くらいずっと立ち読みをしたりして、楽しかった。けどそっからまたバスに乗って、マンションまで帰んなきゃなんない・・・。けどたまにはホラーとか、怖いのが載ってるBookもあったけどね・・・;心理テストが載ってるBookは、読んでいてもとってもおもしろかったね! デパートに行ったら、PokemonSongCDが沢山売っていたので、(1枚×1000yenくらいで買える)欲しくなって、げっと!と買って帰った。カラオケで歌った時も楽しかったけど、 それを帰ってからCDプレーヤーに入れてスピーカーから流して聴いたら、すっごく感動した!遠足では、新宿まで行って皆で集合・・・って、そこまでやんなきゃなんなくて ちょっと嫌だったから行く気がしなくて、後から遅れて行ったんだった・・・。嫌いな子のPhotoだけ抜かれた卒業アルバムが、ゴミ箱に突っ込んであった。そこまでしないと おさまらないというのは・・・。少女ぽんずが完成すると、表紙を作ってラメ入りでセロテープを貼って、本当にShopで売れたらいいのにね!とか言ってた。 N先生が入院して長期間休みになった時には、代わりの先生が来たけど、とっても優しくて良い先生でしたよ・・・。Bigボールを買ってもらった。それが気に入っていて、 校庭にまで持って行って遊んだりとかしてた。School帰りにバスから降りて、N小校庭に行くと、今はJ学園通ってるんだって〜やっぱり私立中なだけあって雰囲気が違う。 凄いね!とか、言われたりした。ミーシャというNameリアルなCatぬいぐるみがいて(通販で買った)、それをMiniリュックに入れて、旅行にも連れて行ったりした。 カイリューぬいぐるみがいて、それも連れてって、別荘に泊まった。Comicざっしが置いてあって、ラッキーマンが載ってた!焼き肉を食べた。でもそんな幼稚な番組観てるなんて、 おっかし〜wと、笑われたりもした。駅に行ったら公衆рェあったので、テレカを入れて、無言рかけたりもしていたwSchool帰りにデパートに寄って、2人にプレゼントを買い与え